コロナ禍を機に急激に距離が縮まった
――そうしているなかで関係性が変わっていったと。
潤雅 2020年にコロナ禍になって、定期的に配信していたYouTube番組もスポンサーさんが降りて終わってしまったんですね。そのあたりから、塩さんが家に帰らないで、ずっと仕事部屋にいるようになって。「あれ、今日も帰らないんですか?」みたいな日が、ずーっと続いてたんですね。
で、よくよく聞いたら離婚して、家を出たと。そのときにはじめてプライベートなことを聞いて。ほかの先生はInstagramやFacebookで「子供が生まれました」とか載っけてたんですけど、塩さんってプライベートをまったく明かさない人で私はなんにも知らなかったんですよ。だから「どんな生活をしてんのやろ?」って謎なところがあって、いま思えばそこもちょっと惹かれる部分でもあったんですけど。
――いきなり離婚したと告げられたのですか。
潤雅 ですね。私のほうもコロナでライブハウスが大変になっていて、どうやって活動していこうかと考えていたんですよ。前から日本縦断してみたいのもあったんで、車で各地の道の駅を回ったりして、配信もしながら野外ライブをできないものかとか。
そんな相談をしていたら、いきなりプライベートの話もぶっかけてきて「エーッ!」みたいな。「なんだか、物事が変わりつつある時期なんですね」なんて返したのを覚えてますね(笑)。
それを機に急激に距離が縮まりました。「じゃあ、車でどこかに行って野外ライブを配信してみよか」となって、すぐにふたりで2日がかりでライブをやって。そうなると、どうしても泊まり込みになるし、夜も通しで飲んだりするので、さらに話し込んで、意気投合して。
裕 これだけ年の差があるんですけど、話しているうちにだんだんと同じ価値観を持ってることがわかってきて。僕は離婚して「これからは、ひとりで生きていくんだな」と考えていたんですけれども、そこへ同じ価値観を持った人が現れたと。
潤雅 基本的には「このジャズシンガーが好きや」とか「このプレイヤーがすごい」とか、音楽の話題が中心でしたけどね。塩さんは、寝ても、覚めても、酔っていても音楽しかない人なんで。