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「日本人ですごさを感じたのは細野サン。驚異的ですね」アカデミー賞を受賞した坂本龍一は、なぜ細野晴臣の音楽に愛着を覚えたのか?

「日本人ですごさを感じたのは細野サン。驚異的ですね」アカデミー賞を受賞した坂本龍一は、なぜ細野晴臣の音楽に愛着を覚えたのか?

細野晴臣ソロデビュー50周年♯1

2023/05/20
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『HOSONO HOUSE』はアメリカ村での生活をそのまま写し取るようなアルバムだった。

 例えば収録曲の「恋は桃色」は、〈壁は象牙色〉〈川沿いの道〉〈この黴のくさみ〉と歌詞につづり、米軍ハウスが建ち並ぶ入間川沿いの湿気た風景を描写している。〈ここがどこなのか どうでもいいことさ〉と、どこかそっけない素振りで。

〈ですから、家で録ったということは、スタジオを自分の家の日常に入れちゃったんで、そういうもくろみはあったんです。ただし、生活自体が、さっきもいったとおり、アメリカ村みたいなところに住んでいる幻想だったんで、それ自体がひとつのフィクションだということも、どこか考えていたことは考えていたような気がする〉(*5)

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©文藝春秋

 細野はそのころの心境をさらにこんなふうに振り返っている。

〈都会はどんどん変わりつつあった。原風景は破壊されて、はっぴいえんどのときにはあった“風街”って幻想もなくなった。東京生まれの自分にとって、故郷の喪失、不自然な状態。それで、田舎に憧れたんだよ。(略)その狭山で、テレビの深夜映画で古い映画を観まくっていたな。サイケとは違うヴァーチャルな世界に完全に入り込んでいた。もちろんサントラも買い漁ってね。ロックビートがイヤになったんだよ。だから古いカントリーを聴き直したり、シンガー・ソング・ライターものを聴いたりしていたわけだ〉(*6)

 曲調には、そのころ聴いていた映画音楽やカントリーやジェームス・テイラーを始めとするシンガー・ソング・ライターものが反映された。またそれだけでなく、次第に熱中するようになっていた1920年代のポップスや民族音楽や16ビートのリズム&ブルースの要素も入り込んだ。

 アメリカ村での生活と同時に、アメリカ村で暮らした当時の心境までそのまま記録したドキュメント、それが『HOSONO HOUSE』だったのだ。

ちょうどそのころ、重要なバンドがアルバム・デビューを飾った

『HOSONO HOUSE』がリリースされたのと同じ1973年5月、日本のロック・ポップス史に名を刻む、ある重要なバンドがアルバム・デビューを飾っている。

 サディスティック・ミカ・バンド。

 元ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦と妻のミカを中心に結成されたそのバンドは、前年にデビュー・シングルを発表したあと、メンバーを入れ替えて本格的に始動したところだった。

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