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 意外と知られていないが堺もヤクザの激戦区であり、多くの組が事務所を構えている。その気性の荒さは、だんじり祭りで有名な岸和田などが隣接している泉州という地域で分かるであろう。 

だんじり祭り ©文藝春秋

――西成で介護の事業もですけど、立ち呑み屋を開業されたじゃないですか。それはどういった目的ですか?

「僕自体がね、若い子がご飯食べれてなんとかやっていけたらいいかなと。あと、僕の名前を入れてますんで、ハシケンさんが、あっここでやっているんだなと分かってくれればいいかなと」

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 ハシケンさんは西成の三角公園の前で「たまりば けんちゃん」という名前の立ち呑み屋をやっている。筆者も何回も立ち寄っているが、いつも満席で客のほとんどは西成の住人だ。

 ハシケンさんも、たまに店に顔を出すが、そこでのお客さんとの会話を聞いていると、ハシケンさんがいかに街の人間に慕われているかが分かる。

――若い子を食わせるというのは任侠道の世界ですね。そこは抜けないですか。

「まあ、ここが一応みんなの学校みたいなもんなんで。ここから独り立ちして自分でご飯食べれるようになっていくことができるようにすることも、僕らの役目だと思っています。それで立ち呑み屋を作ったんですわ。

 元々は不動産なんですよ。このちょうど裏に“クローバー”いうのがあるんですけど、そこの会社を一番最初に立ち上げたんですよ。不動産やりながら介護もちょっとかじろうかっていうのがスタートなんですね。この店は、まあ他の者に任せてね。出資は僕ですが。ここの裏っていうかだいぶ先ですね。病院あるでしょ。あの3軒隣ですね。生活保護者、年金で困った方々や生活弱者の方の部屋を紹介するということで」

「死ぬ前にちょっと良いことしたいなって」

 これはハシケンさんの本心なのだろうか。意地の悪い質問をストレートにいくつかぶつけた。ここで取材が打ち切られてもいい、という覚悟である。

――ぶっちゃけ行政とやれば手堅いから始められたんですか?

「正直それもあるけど。でもね、部屋を段取りする障がい者が多くなってきたんで。この人らを助けたいなと。僕もヤクザやって良いことしてきてなかったんで、死ぬ前にちょっと良いことしたいなって」

――その転機はなんだったんでしょうか? いきなりですか。例えば子供が生まれたとか。