戸田 単純に「人権問題である」「入信するかどうか自己選択する権利を与えられなかったケースである」という認識が広がったなと感じます。あとは、事例がたくさんある問題なのだということも。
体感としては、タブー視する傾向は少しずつ弱まっているように思えます。だから今後、困っている人が「困っている」と言えたり、周りが腫れ物に触るように扱うのではなく、社会問題の1つとしてフラットに接していく空気ができれば、当事者の人が今まで言えなかったことが言えるようになるんじゃないかと思っています。
親というのはまったく「完全な生き物」ではない
――家庭の問題で苦しんでいても助けを求められない、という人はたくさんいらっしゃると思いますが、そういう方に対して何かメッセージをいただけますか。
戸田 例えば親とか、祖父母とか「自分より立場が上だ」と教えられてきたはずの人が、本当はあなたよりも未熟ということもある、と伝えたいです。
私は、親が自分よりも未熟だったり、自分よりも頭を使わずにこの言葉を言っているんだ、ということを受け入れるのにすごく抵抗があったんです。「お母さんなんだから、きっと私よりも正しいはず」と思いたかったところがやっぱりあって。そう思いたい子どもってたくさんいるんじゃないかな。
でも、親というのはまったく「完全な生き物」ではない。親になったから立派になるわけではないので。
現在、自分が生きづらさを感じているとしたら、まずは自分が今「理不尽な目に遭っているのかもしれない」と考えてみてもらって、親や相手を慈しむ心より、自分を守ることを優先してほしい。「自分よりも何も考えていない可能性のある相手が、自分の実権を握っている可能性」を考えてみることで、「助けを求めてもいいんじゃないか」という心境に近付くように思います。
「果たして助けを呼んでいいのかどうか」をジャッジできないために、その問題がより内側に隠されてしまうこともあります。だから1つのキーワードとして「もしかすると、相手が自分よりも愚かかもしれない」ということを考えてみてほしいです。
撮影=杉山拓也/文藝春秋
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