それでも過去に対する思いに変わりはなかった。そこであるとき、長戸が「かつての自分を後悔していないなら、そういう歌詞を書いて歌ってくれ」と提案する。こうして生まれたのが、1995年の6thアルバムの表題曲となった「Forever you」であった。その曲中で坂井は「過去(むかし)に後悔なんてしてない/またとない 二度と来ない 私の青春だから」ときっぱり歌い上げたのである。
作詞も「アーティストが自分自身をより輝かせて歌うためには、自らの言葉で書いて歌ったほうがいい」という長戸の助言によりデビュー時から始めたものだった。思いつくがままに言葉を書き留めた手帳はまたたく間に冊数が増え、やがて旅行用のキャリーバッグで持ち歩かなくてはいけない量に達したという(『永遠』)。坂井はそうやって書き留めた膨大な言葉から選り抜き、ジグソーパズルのように歌詞に当てはめていくというスタイルを確立する。
詞を書くときの流儀
2001年のインタビューでは、《フッと思いついた言葉は、日頃からお気に入りの手帳に書き留めるようにしています。(中略)詞を書く時は、メロディを初めて聴いた時のイメージやインスピレーションを大切にしています。あとは“私を選んで~”と言葉が訴えかけるので、その訴えかけてくる言葉を選ぶようにしているんです》と語っていた(『SAY』2001年5月号)。ZARDの翌年に同じくビーイングからデビューした大黒摩季も、坂井が「曲を何度も聴いていると、メロディが言葉をくれる」とよく言っていたと証言している(『ZARDよ永遠なれ』)。
大黒は駆け出し時代、ZARDの楽曲でコーラスを務めることも多かった。彼女たちのほかにも、ビーイングからはB'zやT-BOLANなど多くのアーティストが輩出され、90年代にヒットチャートを席巻した。ZARDは「負けないで」「揺れる想い」を発表した1993年、同じくビーイングのバンドであるZYYG、REV、WANDSとシングル「果てしない夢を」を共作したが、そこでゲストボーカルとしてプロ野球の読売ジャイアンツの監督だった長嶋茂雄を迎えたことからも、このころのビーイングの勢いがうかがえる。
長嶋茂雄とのレコーディング
「果てしない夢を」のレコーディングではこんなエピソードが残る。このとき、プロデューサーの長戸が「長嶋さんはヘッドフォンをして歌ったことなどないはずだから、カラオケみたいにスピーカーから音を流してハンドマイクで歌ってもらおう」と突然言い出したので、レコーディングエンジニアの市川孝之は慌てた。当時はそのような状況でも録音できる高音質のマイクなどなかったからだ。
だが、戸惑う市川を見て、すかさず坂井が《それだといい声で録れないし、後で編集もできないだろうから、私がブースの中に長嶋さんと一緒に入って、横でアシストするので普通に録りましょう。ヘッドフォンの使い方も私が教えます!》と助け船を出してくれたおかげで、レコーディングは滞りなく進んだという(『ZARD/坂井泉水 ~forever you~』)。
この話からもうかがえるように、普段の坂井はジャケット写真でのはかなげな表情から想像されるイメージとは違い、さっぱりとした性格で、スタッフたちにとっては姉御肌の頼れる存在だったようだ。