恐怖や不安が子どもに与える影響
小さい頃の私はとにかく臆病で、誰かが「あっ!」と大きな声を出しただけでも咄嗟に頭を抱えてうずくまり、怯えてしくしく泣きだすような子だったといいます。
人の顔色を過剰にうかがう癖は今でも体に染み付いていて、特に男性から威圧的な態度をとられたり不機嫌な表情を察知したりすると、たとえ親しい相手であっても強い不安を感じ、意思とは関係なく泣き出してしまうほどです。
誰かを怒らせると痛い目に遭うと思っていた私は、自分の身を守るために「完璧であること」に強く執着していました。母親や兄の反感を買うようなことは絶対あってはならないため、食べ物をこぼさないようにするとか、八つ当たりされないようになるべく存在感を消しておくとか、2人の「不機嫌の種」をあらかじめ排除することで殴られないようにしていたのです。
しかしながらどれだけ工夫しても暴力がなくなることはなく、それどころか激化していき、私が中学に上がる頃から家庭は急激に崩壊しはじめました。私の心身に大きな異変が出はじめたのも、ちょうどこの時期のことです。
家の他に居場所がなく、頼れる人もいなかった
家族で食卓を囲む習慣もなく、食事は自分の分だけを部屋に持ち込み、食器を床に置いて1人で食べるのが普通だった私は、成人するまでの長いあいだ誰かと食事をするのが大の苦手でした。
地獄だったのは、給食やお弁当の時間。特に症状がひどかった中学生のとき、教室で昼食を食べようとすると「人に見られている」という不安に脳が支配され、手や口が震えて食べ物をこぼしてしまうのが辛くてたまらなかったのを覚えています。
また、ストレスからか顔の右半分が麻痺したようになり、笑おうとすると顔が大きくゆがむので、高校を卒業するくらいまでの数年間は笑顔のない学生生活を送ることになりました。人と関わるのを避けて、何かと付き合いが悪く、心ここに在らずの私を嫌う人たちもいましたが、学校での人間関係どころではなかった当時の私にとってはあまり気にならないことでした。
家にいるのは苦痛だったけれど、他に居場所がなく頼れる人もいなかった私にはひたすら耐えることしかできず、「こんな日々が永遠に続くのではないか」とただただ自分の人生を悲観するしかなかったのです。