私がまだ5歳くらいのときに、食べていたカップ麵を容器ごと足の上に落としてしまったことがありました。熱湯がかかって水ぶくれができるほどの火傷を負ったにもかかわらず「こぼしたことを知られたらまたお母さんに怒られてしまう」と思った私は、太ももの上に落ちた麵やスープをとっさに払い落とすこともせず、熱さに耐えながらぶるぶる体を震わせ、ボロボロと静かに涙を流すことしかできなかったのです。それほどまでに、私は母親のことを恐れていました。
それでも、私は彼女のことが好きでした。怒っているときは怖いけれど、普段の母はとても優しかったし、私を本当に愛してくれていることを知っていたからです。
中学生になった頃、兄の暴力が激化
私がもっとも思い悩んでいたのは、兄との関係性でした。兄は非常に攻撃的な性格で、気に入らないことがあると私や母親だけでなく家の外でも、誰彼かまわずすぐに暴力を振るう癖があったのです。妹をいじめているのがばれると母親に叩かれるのを理解していた兄は小学生のとき、よく母親に隠れて私を殴ったり物を投げつけたりしました。
今考えると兄には強いコンプレックスのようなものがあったのか、私が憎くてしかたがない様子で「学校の友達も母さんも、お前のことなんか誰も好きじゃない。存在価値がない人間なんだから早く死ね、誰も悲しまないから死んでしまえ」と執拗に言い続けることがよくありました。
兄の暴力が誰にも手がつけられないほど激化しはじめたのは、中学生になった頃でした。
父親は悲鳴や泣き声が聞こえても一切表情を変えない
母親はそれまで兄が暴れて壁や家具を壊したり私を殴ったりするたびに力ずくで制止していましたが、兄が成長して体が大きくなったためにそれも敵わなくなってしまったのです。
父親は私や母が殴られていてもまったく気にならないようで、悲鳴や泣き声が聞こえていても、私の顔が血まみれになっていても表情を変えず、テレビから目を離すこともありませんでした。父親が唯一怒りの感情を露わにするのは、兄が私たちに怒鳴る声がうるさくてテレビの音が聞こえないときだけです。それ以外は何を考えているのかが一切分からない父親のことを、「まるで爬虫類のようだ」と不気味に思ったこともあります。