2000年、当時38歳を迎えていた六角精児氏は人気ドラマシリーズ『相棒』への出演が決まるなど、役者としての注目度が高まりつつあった。しかし、同氏によると、当時は多額の借金を抱えており、人生でもっとも苦しかった時期でもあったのだという。はたして、そこからどのようにしてドラマや映画に欠かせない名バイプレイヤーにまで飛躍を遂げられたのだろうか。
ここでは『六角精児の無理しない生き方』(主婦の友社)の一部を抜粋。含蓄に富んだ六角精児氏の借金観・ギャンブル観について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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借金地獄の時代! 「相棒」が始まったころが人生で一番苦しかった
いまのところ人生でもっとも苦しかった時期は、実はドラマの「相棒」シリーズが始まったくらいのころなんですよ。結婚して離婚して子供もいたのに、かなりの借金があってもう借り入れができずにひたすら返済するだけという状況で。あの厳しい時期があったからこそ、いまの六角精児がいるとさえ思っていますね。
その当時は横浜に住んでいたのだけど、嫁さんと別れて子供の養育費を払いつつ、アパートの家賃も払いつつ、自分の借金も返済しながらの三重苦でした。わずかな交通費もギリギリだから、都内で撮影が終わったら横浜駅までは列車に乗るけど、そこから関内のもっと向こうまで毎回歩いて帰っていたし。
当たり前だって言われるかもしれないけど、借金は借りるときよりも返すときのほうが圧倒的に大変なんですよ。借りるときはとにかく気楽だし、限度額がちょっと増えたりしたら、それは貯金が増えたような気分になっちゃう。でもいよいよ身動きが取れなくなって返すしかないという状況に陥って一切の借り入れができないようになると、これが大変なんですよ。けれど、そのくらい追い込まれないと借金なんてものはなくならないと思います。僕がどうにか完済できたのは、めちゃくちゃ苦しくても地道にコツコツと返していた時期があったからなんですよ。すべて返済したときには周りの景色が違うように見えたものなぁ。