影野臣直、1959年、大阪市生まれ。
祖父が一代で百貨店を築きあげた裕福な家族の長男として生をうけた。
父も母もインテリだった。父は将来、長男を歯科医にしようとしたが、急逝したため、長男は歯科医にならず、次男が医師となった。
長男は一浪ののち、1980年春、東京・白金のシティボーイ、シティガールの集うある大学に入学した。
田中康夫『なんとなくクリスタル』が大ヒットして、ブランド品を身にまとう女子大生が話題になった。彼女たちはメディアからクリスタル族と呼ばれ、影野が在籍した大学はクリスタル族が集う大学としても有名だった。
ぼったくりの帝王は、実は時代の最先端をいくクリスタル族の一人だったのだ。
ステレオがほしかった影野青年は大学に通いながら、歌舞伎町で呼び込みのアルバイトをやりだした。
「高学歴って、ぼったくりの世界では自慢にならないんですよ」
通行人に声をかけていると、ある日、目の前に好みのタイプが通りかかった。
「太地喜和子に似たすげえいい女でした。目が大きくて、顔立ちが派手。俺、派手な女が好みなんですよ。“飲みに行かない?”って声かけたのがきっかけです。俺より7つ上でした。そのころ借りていた大久保二丁目の俺の部屋に連れ込んで、それから同棲です」
太地喜和子は1948年生まれ、東映ニューフェース、同期に千葉真一がいる。俳優座に移り、映画『男はつらいよ』や数々のテレビドラマに出演、人気を博す。
1992年10月13日、静岡県伊東市での『唐人お吉』公演期間中の午前2時過ぎ、スナックのママが運転する乗用車が海に転落、酔っていた上に泳げなかったことで命を落とす。享年48。
影野青年と太地喜和子似の年上女性は結婚する。2人の男児に恵まれた。
私が元ぼったくりの帝王とはじめて会ったのは、ある出版社の若手編集者と深夜、ラーメン店に入ったとき、ドスの利いた声で呼びかけられたときだった。
茶髪のメッシュ、ピアス、高価な腕時計、サングラス、焼けた肌、豹柄のシャツ。
9時から5時までの世界に生きる男ではないことはたしかだが、ヤクザともどこか異なる放埒な空気をあたりに放っていた。
「最初のぼったくりはキャッチバーからですね。歌舞伎町でバイトしてて、池袋に移転して10カ月やって、営業停止になって、また歌舞伎町にもどったんです。それから個室ヌードをはじめました。すぐに店長です。1年くらいは大学に行ってましたけど。高学歴って、ぼったくりの世界では自慢にならないんですよ。むしろ貧しかったくらいのほうがいいんです」