交番でタクシー代を立て替えてもらい、警察官に訳のわからない事情を一生懸命に説明した。
「誰かタクシー代を払ってくれる人はいないのか?」「家族は?」と聞かれて、僕は仕方なくいわき市の実家の電話番号を答えた。実家の番号だけは不思議と覚えていた。
実家の母親は相当驚いていた。何年も連絡をよこさなかった息子のことで、急に警察から「息子さんの様子がおかしい」「タクシー代を払ってほしい」と連絡がきたのだから、当たり前だ。
母は「タクシー代をもっていきますから、そのまま息子をそこにいさせてください」と警察に頼んで、東京にいた僕の従姉妹2人に連絡した。
数時間後、従姉妹2人が迎えに来てくれて僕は無事に交番から解放された。従姉妹に金を貸してほしいと頼んだところ、「一度実家に帰ったほうがいいよ」と説得された。タクシー代も払えず金を持ってきてもらった立場の弱さもあり、僕は実家へ帰ることに同意して、一緒に母親が迎えにくるのを待った。
従姉妹たちには本当に感謝だ。おかげでこちらへ戻ってこられた。
このとき、どういう流れか立川で従姉妹2人とジブリの映画を見たのだが、映画の途中で気分が悪くなってトイレで吐いたのを覚えている。吐瀉物はドス黒くて気持ちが悪く、あのとき僕のなかに巣食っていた悪いものを吐き出せたんじゃないかと感じている。
いわき市の精神病院
母が東京まで迎えに来てくれて、いわき市の実家へ帰った。
母は完全に頭がぶっこわれていて訳の分からないことばかり話している僕の姿にかなり驚いたようだ。背中の刺青を悲しんでいた。
母と叔母さんとにいわき市内の精神病院へ連れて行かれて、入院させられた。もちろん僕は入院を嫌がったのだが、ぶっとい注射を打たれて、気づいたらオリ付きの部屋だった。
「医療保護入院」と言って、家族の同意がある場合、本人の同意なしに入院をさせられるという手続きだったようだ。短期間の間に、松沢病院の「措置入院」、この精神病院の「医療保護入院」という2つの強制的な入院手続きを経験した。なかなか貴重な経験だ。