弁護士になってから何度か精神病院の入院手続きを扱ったのだが、そのときに、当時の自分が入院させられた手続きをよく理解することができた。
トイレはおまるで窓もない部屋
最初に入れられた部屋は、いま思い出してもトラウマだ。
オリにとじとめられた独居部屋で、窓がない。部屋の広さはそこそこあったけど、おそろしく冷たい床に1畳だけ畳が敷いてあってそこが寝床だった。
トイレはおまるだ。留置場でも保護房は経験していたけど、トイレはあった。おまるで用を足すことに、ひどく尊厳を踏み躙られる気分だった。でも、強い安定剤(?)が効いていたから文句を言う元気もなかった。
1週間くらいで普通の閉鎖病棟に移ったけど、あそこに半年いたら自殺していたと思う。普通の感性なら、死にたくなるようなところだ。
閉鎖病棟にうつると、公衆電話で電話をかけることができた。毎日のように誰かが警察へ電話して、「助けてください。殺されそうです」と訴えていた。警察は相手にしていなかった。
僕はアニキに電話して、「渋谷の一家に戻りたい。隙を見て病院を逃げ出すから迎えに来てほしい」と頼んだ。アニキは、「しっかりシャブをぬいて、元気になってから戻ってこいよ。あせらなくていいよ」と優しく諭してくれた。
僕は、逃げ出したりすることをあきらめて、病院職員に従順な態度をとることにした。逃げ出すのではなく、なるべく早い退院を目指すという方針に切り替えたのだ。
アニキから一家を「破門」されたと言い渡されたのは、その3カ月後くらいだった。僕からアニキに電話をしたら、「月寄りでひとまず破門することになった。シャブで下手うったんだから破門されるのは仕方ない」とのことだった。「また戻れるようにしてやるから、しばらく辛抱しておけな」とも言われた。
この「破門された」という通告は、なかなかにショックだった。退院したら渋谷に戻ってヤクザを続けるつもりだったから、突然戻るところをなくしたという喪失感があった。
しかし、一家から破門されたおかげで、退院後は実家に戻ることを決められたし、ヤクザで成功するという人生の目標を失ったからこそ、宅建の勉強を始めることもできた。
週1くらいで売店に行って、お菓子やジュースの買い物をできるのが一番の楽しみだった。売店に行けるというのは、刑事施設では考えられないくらい嬉しい処遇だった。