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毒親との生活、はじめての恋…“わたし”がAVデビューするまでに見た世界(戸田真琴『そっちにいかないで』/第1回)

2023/06/04

source : 提携メディア

genre : エンタメ

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よく丸い丸いとママにばかにされる頰を、雨粒はなだらかに流れていった。何度も、何度も頰のラインを雨がなぞり、その一粒一粒にも光や、正門の赤いレンガ、通り過ぎる青い車のあの青さ、そういうものが逆さに映り込んでいることを想像すると、愛されているみたいな気持ちになる。

わたしというのは、この世界がどんなふうに見えているかということそのもののことなのだとわかったの。わたしに、世界はこんなふうに見えている、そのことをなるべくすべて、いつか誰かに伝えてみたい。そうじゃないと、吸い込んだまばゆさがふくらんで、今にも弾けて死んでしまいそう。濡れたアスファルトを小走りで蹴り、水たまりの波紋をスニーカーで壊す、世界はわたしのものだと思う。

反対車線には聞こえないくらいの声量で言う。こうして喋っているうちにも、すべてが過ぎ去ってゆく。だからわたしはいつも、高校から駅までなるべく早く帰れるほうの道を選ぶ。

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入学式のオリエンテーションで学校あるあるを披露された際に知ったその道は「恋人ロード」と呼ばれていて、校内で成立したカップルたちが手を繫いで歩くことを推奨されているらしかった。

線路沿いにまっすぐ続く舗装された道で、駅まで五分くらい。一方、それ以外のほとんどの生徒たちはその裏側にある、田んぼを見下ろすうねった砂利道を七分程度かけて歩いてくる。はじめて聞いたときは周りの同級生たちも、

「なんで恋人たちに歩きやすい道を譲るの?」

と不満げだったけれど、五月の体育祭が終わる頃、クラスの女子生徒たちは揃って、「早くかっこいい先輩と付き合って恋人ロードを歩きたい」と頰を赤らめていた。

わたしはその日の夜、〝彼女〞に話した。

「校内の人と付き合ってこの道を歩くことはきっとない。わたしの恋の相手はここにはいない。わたしは生涯でする恋を、たったひとつと決めている」

早く、家に帰って階段をのぼって、まだお姉ちゃんの帰らない部屋で繰り返し、今日見たものを話さなくちゃ。わたしは〝彼女〞に話しかける時間をなるべく多く確保するべく、帰路を急ぐ。