わたしはお供え用の器から激しくまろび出るたらこスパゲティーを引き上げながら、お供えのみかんに青カビが生えていることをママに言った。すると、
「供える前はきれいだったんだからいいの。カビが生えてから供えたら失礼だけど、きれいなものを供えてあとからカビが生えたんなら大丈夫よ」
と返ってきた。わたしは「そっかあ」と気のない返事をしながら、母の視界の届かない位置で、はみ出たスパゲティーをすすった。
毎週日曜に〝会合〞へ出席し続けているママだけでなく、わたしたちこどもも、月に一度はこども部の会合と呼ばれるものへ出席していた頃があった。
当日の朝になると、ママと仲のいいらしい婦人部の田代さんという女性が車で迎えにくる。パールがかった水色に、黄色いナンバープレートがついた、ちいさな車。ママは小学生だったわたしと姉を連れて乗り込んだ。
田代さんが勢いよくアクセルとブレーキを繰り返しながら、左右をきょろきょろ見渡している隙に、ママはわたしに話しかける。
「いいなあ、田代さんは運転できて。ママ、いつまでペーパードライバーなのかな。パパに練習つきあってっていつもお願いしてるのに、おまえは乗れなくていいって怒鳴るでしょ」
窓ガラスについた水垢の模様を、午前一〇時の光が透かす。わたしはなるべく心を込めて、身体じゅうの慰めを込めて、ママの頰に、自分の頰をこすりつける。ママは、「モモちゃんとゆきちゃんだけが、ママの味方」と言って、涙目で微笑む。
辿りつく白いレンガ造りの豪勢な〝会館〞も、そこで出迎える笑顔のおとなたちも、わたしや姉と同じくらいの年齢のちいさなこどもたちも、ママが大切にしている場所のものだから、わたしにとっても「いい人たち」だった。
わたしはだんだんと、ゴン様のお供えをこっそり食べても、罪悪感に苛まれることはなくなっていた。最近中等部の会合に出ていないじゃない、とママに怒られるようになってもやっぱり謝らなかったし、玄関先まで迎えに来た地区のサブリーダーというお姉さんに対しては、「テスト勉強がしたいので行けません」と断った。すると、サブリーダーの表情はとたんに険しくなって怒りながらドアをこじ開けようとした。会合で繰り返し流される演説のビデオでも、勉学に励みなさいと何度も言っていたのを、わたしたちは聞いていたはずだった。