わたしはそうしてなにも考えずに宇宙を描いていたのですが、先生はそれを覗き込んでこうおっしゃいました。『そうだね、僕も、願いごとなんて野暮なことはするもんじゃないって思ってる』、わたしは先生の表情を見上げるより前に、今も無邪気に笹の葉に色とりどりの短冊をむすんでいるほかの生徒たちがそれを聞いていないかと心配しました。しかしほかの生徒たちは、このクラスの担任である、黒髪を短くきっぱりと切り揃えた気の明るい感じのする先生と大きな声で戯れていて、誰も、わたしたちのことなど気にしていないようでした。副担任であった先生は、あのときわたしをはじめて認識したのでしょうか。それとも、もっと前からわたしのことを、友達のいない生徒として目をかけてくれていたのでしょうか。
話がしりとりのようにそれてしまってすみません。そう、あのときわたしは、どうしてわたししか知らないはずのことをあなたが知っているのだろう、と驚いたのです。家族がしし座流星群をベランダから見上げながら、願いごとを三回言うのを横目で見て、ほんとうに叶えたいなら祈ったりしてはいけない、と冷めた気持ちになりました。
わたしは、ほんとうに叶えたいことを、神様に祈ったりはしません。人は、自分の人生のことを、うんと目を凝らして、耳をすませば、これがどういう物語であるのかわかることができると思っています。わたしの人生は、わたしが書くシナリオです。そして先生、わたしの物語にはじめて登場した、顔も名前もある主要な登場人物が、あなたなんです」
*
実際のところ、家族が祈りを捧げていたのは流れ星じゃなかった。
幅約一・五メートル、奥行き約一・二メートル、和室の天井の高さを測ってオーダーメイドしたのかと思うくらいピッタリの、黒々とした仏壇だ。
観音開きの扉を開くと、真ん中には殴り書きにしか見えないお経のようなものが書かれた掛け軸がかかっている。ママはこれが読めるらしい。手前には脚つきのお盆のようなものがあって、そこに腐ったみかんが三つ置かれていた。この家ではご飯が炊きあがるといちばんはじめに、まんじゅうひとつくらいの量のご飯をちいさなワイングラスのような形の銅色の入れ物によそって、あのみかん置き場あたりにお供えするのだった。一度置いて、両手を合わせていつも同じ言葉を唱え、そしてご飯は炊飯器へ戻される。唱えているのは掛け軸の真ん中に殴り書きされている言葉と同じらしい。ママがいつも言うのを耳だけで覚えていたため、ほんとうにそうなのかどうかは確かめていない。