一人ひとりの個性を尊重しながらチームを強くするにはどうすればいいか。障害者を率いて鳥取大学医学部附属病院の清掃を務める、さんびるの坂川ルミ子さんは「私は、1つのチームにするには相手の気持ちを尊重するのはいいけど、自分の気持ちも相手にぶつけることが大切だと学んだ。ただ、頭ごなしに否定はしないことを心がけている」という――。
※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 13杯目』の一部を再編集したものです。
「掃除だからできるだろう」と軽い考えで入社したが
坂川ルミ子の朝は早い。
朝5時に起床すると、まず洗濯機を回す。夫、2人の息子の洗濯物のうち、分厚い作業着などは乾燥に時間が掛かるからだ。そして朝食の支度に取りかかる。
食事を取った後、7時半には職場である鳥取大学医学部附属病院に到着。7時45分、渡り廊下の一角に彼女が束ねる「チーム」が集合する。
日によって人数は左右するが、だいたい4人から6人。年齢は20代前半から30代後半まで。まずは道具確認を済ませ、担当する部屋、作業を指示する。
「はーい、始め」
坂川の声とともに、モップ、ブラシ、タオルなどの道具を手にしたスタッフが一斉に散らばっていった。病院長室を含めた部屋の掃除は使用開始時間である9時までの約1時間に限定されているのだ。
大規模な事業所、ビルではこうした清掃風景は日常である。他と違うのは、坂川のスタッフがみな、心の病を抱えていることだ。
坂川は1971年に米子市で生まれた。
「(米子市)公会堂から歩いて3分ぐらいのところに住んでました」
当時は米子駅から縦横に商店街が広がっていた。特に週末には“土曜夜市”が開かれており、屋台が出て華やかな雰囲気となった。夏になると、商店街の通りには花を中に凍らせた氷の柱が設置され、坂川は手で触って溶かして遊んだ記憶がある。
最初の仕事場は米子市内の洋食レストランの厨房だった。
「しばらくしたら調理師免許をとらんといけなくなったんです。(料理は)面白いなって思ったんだけれど、(分量の)計算難しそうやなって思って、逃走しました」