イラク戦争の取材に行った知人は、「現地で一番怖いのはアメリカ兵なんだよ。イラクの人よりずっと怖いよ。だって、ちょっとしたことですぐに撃つんだもの。とにかく彼らは恐怖で過緊張状態なんだ」と言っていた。

 二〇〇七年一月、すでにイラクへの派兵が失敗であったことは、誰の目にも明らかであった。そんな中、なんとブッシュ大統領(当時)は「三万人になるまで部隊を増員する」との政策を発表する。撤退ではなく増員である。立案者は最高司令官のデイヴィッド・ペトレイアス陸軍大将。すでにペトレイアスはイラク戦争のスターとなっていた。彼はイラクを安定させればグローバル経済につなげることができ、国益が上がると公聴会で証言した。

 イラク増員の任を受けて、陸軍中佐のラルフ・カウズラリッチが率いた大隊の平均年齢は十九歳であった。若者たちは、武器の操作は学んでいても、目の前で死んでいく仲間とどう接すればよいのか、四肢を失った自分とどう向き合えばよいのか、そんなことは教えてもらっていなかった。

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 本書の主人公的役割を果たすカウズラリッチは、住民の安全を考え、犯罪を抑制することに主眼をおいて活動する。悪いのは一部のテロリストだけであって、大半のイラク人とは信頼関係を築けるはずだと考えていた。しかし、テロの阻止も、民主主義の繁栄も、子供たちの笑い声も、何ひとつ実現しない。身を粉にしてイラクのため尽くしているのに、住民はアメリカ兵を憎んでいる。わずか百ドルの手製爆弾で仲間の手足が吹っ飛び、眼が潰れる。次第にアメリカ兵たちは、「ここは肥溜めだ」「やつらはこれまで会った中で最低の人間だ」とイラクを嫌悪していく。ひとりのアメリカ兵の死に慟哭し、十三名のイラク人を一斉掃射できたことを喜ぶ。矛盾と虚無が渦巻き、確実に心身がむしばまれていく。

 圧倒的な暴力の前に立たされる人間を、著者は実に淡々と記述していく。一連のストーリーの中で、事態の欺瞞と歪曲を語っていく。「太腿」「顎」「腹部」「筋肉」「尻」といった肉体部位の用語が頻出し、その都度読者は身体的な痛みを感じるだろう。本書は、話題作『帰還兵はなぜ自殺するのか』の前編にあたる。読み進めるうちに、帰還兵が二次疾患・三次疾患を発症して当然だと実感するはずである。

 個人的に注目したのが従軍する宗教者だ。本書ではときどき従軍牧師が登場する。これについて論考する紙幅はないが、宗教がもつ負の機能について再確認することとなった。

デイヴィッド・フィンケル/ジャーナリスト。ワシントン・ポスト紙で23年にわたり記者として働き、2006年にピュリツァー賞を受賞。その後イラク戦争を取材するために退職。イラク戦争から帰郷した兵たちに取材した本書の続編『帰還兵はなぜ自殺するのか』は映画化が決定している。

しゃく てっしゅう/1961年生まれ。宗教学者、浄土真宗本願寺派如来寺住職。近著に『死では終わらない物語について書こうと思う』

兵士は戦場で何を見たのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ II-7)

デイヴィッド・フィンケル(著),古屋 美登里(翻訳)

亜紀書房
2016年2月11日 発売

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