「新聞記者その他から質問を受けた場合には頭から否定する」
「これはニクソン大統領(それにキッシンジャー特別補佐官)のみが承知」
「ニクソン大統領が自然な形で『プライベート・ルーム』に誘うまで待って頂きたい」
「新聞記者その他から質問を受けた場合には頭から否定する」
この内容からして、佐藤首相の密使としてキッシンジャー氏と極秘に交渉し、核密約を仕込んだ若泉氏以外書ける人はいない。
若泉氏は晩年に密使としての過去を著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(1994年、文藝春秋)で明かすが、冒頭で「何事も隠さず 付け加えず」と宣誓し、他に裏付けとなる史料を一切公にしていない。それは若泉氏の覚悟だったが、告白の後も政府に核密約を否定され続ける余地を与えた。信二氏が2009年に核密約の原本を明かした後も、いまに至るまで、政府は外務省内に関連文書はないとして核密約の効力を否定し続けている。
そのことだけを考えても、この核密約へと至る首脳会談シナリオは重いと私は直感した。
阿達氏の部屋を辞した数日後、私は一連の「若泉文書」の記事化に理解を得ようと阿達氏に手紙を届けた。そこに、沖縄返還50年企画で朝日新聞に書いた二つの記事を添えた。
一つは2021年末に載った、沖縄返還交渉での佐藤首相のブレーン集団、沖縄基地問題研究会(基地研)に関するものだ。
佐藤首相が1969年3月に掲げた「核抜き・本土並み」方針は直前の基地研の提言に沿っているが、そのメンバーだった若泉氏が、緊急時の核兵器再持ち込みに言及しながら議論をリードしていたことが、非公開だった会議の記録からわかってきたという話だ。これは本書の後半で触れる。
もう一つは、最近の沖縄の米軍基地問題に関する2022年春の連載だ。菅前首相や仲井真弘多元知事にインタビューし、菅氏が安倍内閣の官房長官当時から、県内で反対の根強い普天間飛行場の名護市辺野古沿岸への「県内移設」を推し進めつつ、バイデン大統領との首脳会談で直談判をするなどして別の基地の返還にこだわる姿を描いた。