いまのところ、ゆいレールは沖縄県内でただひとつの鉄道である。モノレールを堂々と鉄道と言っていいのかどうかはわからないが、まあ広い意味で鉄道の一種だから文句はないだろう。
いずれにしても、2003年にゆいレールが開業したことで、沖縄県は「日本で唯一鉄道のない都道府県」という“汚名”をそそいだのである。徹底したクルマ社会の沖縄県は、まさしく鉄道不毛の地であった。
しかし、歴史的に見てもずっと沖縄が鉄道不毛の地であったわけではない。ゆいレールが開業するよりはるか昔。今年は沖縄返還50年の節目だというが、米軍統治下の時代からもさらに遡って戦争前。大正時代から昭和のはじめ、沖縄県にはいくつかの鉄道が通っていた。
中でも代表的なのが、沖縄県営鉄道、通称“ケービン”である——。
沖縄を走っていた“ナゾの鉄道”「ケービン」って何?
沖縄県営鉄道は1914年に開業し、那覇を起点に与那原線・糸満線・嘉手納線の3路線、那覇港までを結ぶ貨物専用の海陸連絡線を含めれば総延長約48kmの路線を沖縄本島南部に広げていた。“ケービン”の愛称は軽便鉄道であることから来たものだ。
本土で一般的な鉄道ではレールの幅が1067mmなのに対し、ケービンはレール幅762mmとかなり狭い。つまり簡便な規格の鉄道ということになる。
いまではほとんど例がないが、低コストで建設できることからかつては全国各地に軽便鉄道があった。夏目漱石『坊っちゃん』に出てくる「マッチ箱のような汽車」は、松山を走っていた軽便鉄道だ。
が、多くはのちに国鉄(JR)と同じレール幅1067mmに切り替えられており、沖縄県営鉄道は“ケービン”を貫いた数少ない鉄道路線のひとつであった。
今から100年以上も前に存在していた、沖縄の“ケービン”。その廃線跡はどうなっているのだろうか。せっかく沖縄までやってきたのだから、ゆいレールから足を伸ばして沖縄県営鉄道の痕跡を探してみることにしよう。