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大正の終わり、「クルマの時代」がやってきた
沖縄県営鉄道が開業したのは大正時代のはじめ。1914年に与那原線が開業して歴史がはじまった。そのとき、那覇の市街にはすでに路面電車が走っており、いよいよ沖縄にも鉄道時代がやってきたと人びとに思わせたことだろう。
しかし、大正時代の終わり頃からクルマ社会が沖縄にも波及する。バス路線の整備もはじまり、鉄道にとっては厳しい時代の幕開けであった。那覇市内の路面電車は路線バスに置き換わる形で昭和のはじめに廃止になっている。どこにでもあるような、赤字による廃線であった。
ケービンもクルマ社会の影響を免れず、厳しい競争に晒された。1930年には蒸気機関車に加えてガソリンカーを導入しているが、これはスピードアップによってクルマに対抗しようとしたものだ。しかし、なかなかお客は増えず、厳しい経営状況が続いていた。
ケービンを覆う戦争の「明と暗」
状況が好転したのは、戦争の時代に入ってから。ガソリン統制によって路線バスが運行台数を減らさざるを得なくなり、結果として蒸気機関車で走るケービンのお客を大きく増やすことにつながっている。
しかし、同時に戦争はケービンにも暗い影を落とす。太平洋戦争開戦直前の1941年7月には、ケービンにとってはじめての軍事輸送が行われている。日米開戦を控えて沖縄への兵員増員が行われたためだ。
このときの軍事輸送は一時的なもので、1944年の夏まではまたいつものケービンに戻っている。だが、戦局が悪化するにつれて沖縄の軍事的な重要性が高まると、ケービンも再び軍事輸送に従事することを余儀なくされる。