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 2022年9月下旬、阿達氏から「若泉文書」記事化OKの連絡が入る。再び参院議員会館の部屋を訪ねた私は、阿達氏の言葉に耳を傾けた。1969年の日米首脳会談シナリオを含む様々な文書は、どのように引き継がれ、いまここにあるのか。なぜ原本ではなくコピーなのか。そして、阿達氏はなぜ明かすことにしたのか――。

引き継がれた「文書」に書かれていたこと

 阿達氏は一連の「若泉文書」を改めて私に示した。阿達氏の義父で、佐藤栄作元首相の次男・信二氏から引き継いだ5点。次の通りだ。

(1)沖縄返還交渉で佐藤首相の密使を務めた国際政治学者・若泉敬氏から、信二氏に郵送された書簡の原本、1994年4月29日付、便箋3枚。(全文は24~26頁に掲載)

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(2)1969年11月の日米首脳会談のための佐藤首相向け核問題シナリオのカラーコピー、4枚。(全文は75~81頁に)

(3)1969年11月の日米首脳会談のための佐藤首相向け繊維問題シナリオのカラーコピー、5枚。(全文は107~113頁に)

(4)佐藤首相とニクソン米大統領による合意議事録(核密約)の英文草案のカラーコピー、1969年11月21日付、2枚。

(5)右草案の手書きの日本語訳のカラーコピー、2枚。(全文は97~98頁に)

 これとは別に、(6)佐藤・ニクソン両首脳のフルネームの署名がある1969年11月19日付の核密約(合意議事録)のコピーも、阿達氏は保管していた。

 この計6点がどうして手元にあるのか。阿達氏に尋ねた。