スタンドから見下ろすシート席の光景は、今回の総火演が「自衛隊のイベント」ではなく、「自衛隊員のイベント」であることを視覚的に物語っていた。
総火演の前段演習、後段演習終了後、装備品の展示が始まる。一般公開が行われていた頃、大勢の一般客が装備品を撮影したり、説明役の自衛隊員に質問する光景が広がっていたが、今回は自衛隊の各種学校生徒や防衛大学校の学生で埋め尽くされていた。
ニキビ痕も残る10代の自衛隊員ばかり。スマホで自撮りをしたり、集まって記念撮影している隊員もいれば、装備品について説明係の話を聞いている隊員もいる。「格好いいー!」という黄色い声も聞こえてきた。周りは緑の迷彩服か防衛大学校の制服だらけだ。一般人、そしてオジサンは肩身が狭い。
自衛隊のイベントで、ここまでアウェー感を味わったものは記憶にない。隊内の展示会に紛れ込んでしまったようでもあり、周りは皆若いから修学旅行の集団の只中にいるような感もある。予想はしていたが、これまでにない総火演の現実に困惑してしまった。
しかし、これが本来の意味での総火演なのだ。この10年ほどの異様な過熱ぶりを経て、本来の教育目的に立ち返った総火演の姿だ。教育中の自衛隊員が現代戦の様相を学ぶ場としての総火演が帰ってきたのだ。原点への回帰と言えるだろう。
時代は変わり、祭りは終わった
一般公開中止にあたっては、多くの問題があったろう。陸上自衛隊にとっては最大の広報イベントの消滅、地元のバスやタクシー業者や出店業者にとっては経済的なダメージもあるだろう。そういったものを考慮した上での中止の決断は重いものだったに違いない。
だが、総火演の教育目的への回帰は何を意味するのだろうか。ここで本稿冒頭に登場した一般公開中止に関しての陸上幕僚監部のプレスリリースをもう一度振り返ってみよう。「我が国を取り巻く安全保障環境がますます厳しく複雑になる中、防衛力を抜本的に強化していく必要があることを踏まえ、部隊の人的資源を本来の目的である教育訓練に注力するため」とある。これは平たく言い換えれば、「日本周辺が厳しくなっているので、一般公開する余裕はありません」でいいだろう。そう、かつての熱狂は余裕の現れでもあったのだ。
祭りは終わった、ということだろう。いつかまた帰ってくる日はくるだろうか。
写真=石動竜仁
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