ビール工場が消え、駅前の住宅が消え、やってきたのが…

 その変わりに生まれたのが、いまの尼崎駅前の商業施設やマンション群である。さらに、周辺の住宅地の再開発も進められた。戦前から形成された住宅地に、戦後新たに多くの人が流入した、いわば老朽住宅の密集地。狭小な木造長屋なども多く、いかにも尼崎らしい下町の住宅地だった。が、裏を返せば防災的なリスクも低くなく、自治体として放っておくわけにはいかなかったのだろう。

 結局、平成に入ってビール工場は消え、駅前の住宅地も消え、まったく新しい姿の尼崎駅前に生まれ変わった。マンション群のひとつであるアミング潮江は1999年に、現在のあまがさきキューズモールは2009年に完成している。大都市・大阪のすぐ近く、川の向こうの工場の町が、再開発でタワマンの町に変貌し、“住みやすい町”の類いでも上位にランクイン——。これを東京の人にもわかりやすくいえば、武蔵小杉のようなものである。

 いまの尼崎駅前のペデストリアンデッキの上には、ひとつの像が建っている。「梅川の像」という。江戸時代の劇作家・近松門左衛門の代表作「冥途の飛脚」のヒロイン・梅川がモデル。尼崎の町と近松の縁が深いことにちなんだものだという。

ADVERTISEMENT

 
 

 そして、ロータリーの中央島には、見慣れぬプロペラのようなものが置かれている。こちらは、かつてキリンビールの工場で使われていた排気塔(ハウベ)。それをそのまま、オブジェとして、駅前に残しているというわけだ。周囲を高いビルに囲まれて、すっかり面目を新たにしたJR尼崎駅。しかし、そうした中にも町が刻んできた歴史は、しっかりと凝縮されて息づいているのである。

写真=鼠入昌史

◆◆◆

「文春オンライン」スタートから続く人気鉄道・紀行連載がいよいよ書籍化!

 250駅以上訪ねてきた著者の「いま絶対に読みたい30駅」には何がある? 名前はよく聞くけれど、降りたことはない通勤電車の終着駅。どの駅も小1時間ほど歩いていれば、「埋もれていた日本の150年」がそれぞれの角度で見えてくる——。

 定期代+数百円の小旅行が詰まった、“つい乗り過ごしたくなる”1冊。

ナゾの終着駅 (文春新書)

鼠入 昌史
文藝春秋
2025年3月19日 発売

次の記事に続く 関西随一の工業地帯「尼崎」でなぜか野菜がたくさん作られるようになっている…

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。