青春期に中内は、太平洋戦争の激戦地であるフィリピンのルソン島に送り込まれた。手榴弾の破片を浴びて手足を負傷するのだが、「患部は腐って、そこにハエがたかる。卵をうみつけるものだから、すぐにウジがわく。そのウジが腐食部分を喰ってくれた」(中内本人・談)おかげで、手足を切断せずに済んだという。
なんとも凄まじい逸話だが、そればかりでない。中内は飢餓と、それゆえの仲間同士による人肉食の恐怖と背中合わせの極限状態をも経験するのだ。
「中内さんには、いまでも戦争中の飢餓体験が残っています。一言でいえば他人に対する恐怖心です。だからあそこまでやれるんです。フィリピンで生き残れたのは、究極では仲間を信じていなかったからです。いまでもあの人は他人を信じていません」
こちらは別のダイエーの幹部の言葉だ。眠ったら味方に殺される、そうした極限状態を生き延びた中内は、戦後は絶対に他人を信用しない生き方をする。それが闇市の片隅で始めた商売を売上5兆円の大企業へと発展させた。
ワンマン経営のままバブル崩壊
そんな中内が信用するのは、カネと土地と身内だけであった。けれどもバブル崩壊によって2兆円弱あった土地の含み資産が4分の1以下になるなど、経営危機に見舞われた。いまでこそ郊外やロードサイドに大型店を作るのが主流だが、かつては駅前の土地を買って店舗を持つのが当たり前であった。バブル崩壊による地価の下落はダイエーの経営を直撃したのだ。
彼の徹底した人間不信がダイエーを大きくした。一方で人間不信であるがゆえに、自分に直言する者は排除し、出る杭は打った。たとえば80年代初頭に3期連続の赤字となったダイエーを再建した立役者は、成果を上げるなり、すぐに出向に出された。有能な者は疎んじられ、自分で考える力のある幹部が育つこともなく、老いゆく中内のワンマン経営のままバブル崩壊を迎えたことで、事態に対応することもできずにダイエーは解体の道を歩むことになる。
戦争に行く前は俳句を作り、ゲーテを原著で読んだ中内。だが戦場での飢餓体験で人が変わり、戦後は心の豊かさなど目もくれずに物の豊かさを徹底的に追求して栄華を極めるが、バブル崩壊によって破綻していった。――本書は「戦後」と鏡合わせの男の一代記でもあった。
「会社は俺のもの」同族経営の会社をめぐる、身内同士の争い
「なんだよ、俺の会社だよ、お前らいくら威張ったって!(略)はい、役員、罷免するぞ!」
会社は誰のものかといった議論があるが、「俺の会社」だと言い切るのは、ユニバーサルエンターテインメント(以下ユニバ社)の創業者・岡田和生だ。
こんなパンチラインの飛び出す高橋篤史『亀裂――創業家の悲劇』(講談社、2022年)は、同族経営の会社をめぐる、身内同士の争いを取材したノンフィクションである。一代で巨大企業と財産を築いた父親と、その家に生まれた2代目の対立は、フィクションならば現場を知る苦労人と学識豊かでスマートな息子の葛藤になるのが定番だが、現実はもっと複雑で、しかも苛烈なものだ。なかでも群を抜いて激しく、そして面白いのがユニバ社の岡田家である。