教師から「お前は大人になったら絶対にヤクザになるぞ」と宣告されたことも……。そんな中学生が、なぜ勉強だけは欠かさなかったのだろうか? 元ヤクザで、現在は東亜国際合同法務事務所所長である甲村柳市氏(1972年、岡山県生まれ)の少年時代のエピソードを紹介。
初の著書『元ヤクザ、司法書士への道』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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思春期に湧き出した「不良の血」
中学校に入ると、部活は柔道部を選んだ。理由はもちろん「力」のためである。その頃の俺は「力こそすべてだ!」と、頑ななまでに暴力を信奉していた。
小学生までは家で菓子を作るようなガキだったのに、俺は中学に入る頃から急にヤンチャになった。そういうことは世間ではよくあることだろうが、俺のように変わり方が激しかったのはちょっと珍しいとは思う。両親もおとなしいのに、こんな「不良の血」が湧き出してきたのはちょっと不思議でおもしろい。
持久力に自信がなかった俺は、「喧嘩はとにかく速攻だ。腕力でねじ伏せるしかねえ!」とマジで考えていた。
当時の不良にとっては、喧嘩で勝つことが何よりのステータスだった。と言っても、さすがに自分よりも身体の大きな奴に、素手ではかなわない。そういうときには道具も使った。だが、時代は変わった。今では俺も「男は腕力」とは思わない。
俺たち不良はいつもつるんでは仲間意識を確認しあい、不良グループの「輪」のようなものも形成されていった。こうした不良たちとつきあうことで、交友関係も変わっていき、小学校時代にバスケで遊んだ仲よしたちとは縁が遠のいていった。
俺は、柔道の稽古のほかに毎日500回の腕立て伏せと腹筋運動の筋トレも続けたが、かえって腰を痛めてしまい、今もなんとなく腰痛持ちである。
それでも当時は喧嘩にだけは自信があった。
昭和の頃は、学校も会社も週休2日制ではなかった。その頃、土曜日は「半ドン」と言って、午前中だけ授業がある。だから、土曜日は学校に行って、そのまま隣町に仲間と一緒に繰り出すのである。まったく関係のない中学校にいきなり乗り込んだり、町をうろついている不良を適当に捕まえたりしてはよく殴っていた。そして、相手のポケットの中に手を突っ込んでカネを取り上げ、そのカネで飲食や買い物をするのである。
今では中学生でもこんなことをやれば、間違いなく「強盗傷害」として逮捕だが、当時は恐喝(カツアゲ)程度の事件などたいしたことはなく、被害者も警察に駆け込んだり、親や学校に泣きついたりすることはなかった。
俺たちの「遠征」はたいてい成功だったが、たまには失敗もある。
あるときなど、のちに有名プロボクサーになったTのいる不良グループと取っ組み合いになりそうになった。相手は15人近く、こちらは3人である。
これはさすがにまずいのう……と思いながらも、ついに殴り合いが始まったとき、「お前ら、やめんか、コラッ!」と声がした。