38歳のときに収監されている刑務所で、弁護士になることを決意した甲村柳市氏(1972年、岡山県生まれ)。ところが、そこには思わぬ落とし穴があった。彼のセカンドキャリアを阻む、ある法律とは?

 元ヤクザで、現在は東亜国際合同法務事務所所長である甲村柳市氏の新刊『元ヤクザ、司法書士への道』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

38歳のときに刑務所で弁護士になることを決意した甲村柳市氏。しかし、そこには思わぬ落とし穴があった… ©集英社インターナショナル

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四十にして立つ

 俺は以前から「自分の人生の分岐点は40歳」と考えていた。

 正直、いつまでも今の稼業を続けられるとは思わなかった。暴対法で、元ヤクザに対する風当たりが強くなっているし、それでも突っ走ってこられたのは、やはり若さのおかげだろうとも思っていた。

 これまでの人生、いろいろと波風もあったが、自分なりに考えながらやってきて、それなりにも稼げたし、またおもしろいこともたくさん経験した。でも、それがいつまでもできるかと言われたら、我ながら疑問であった。

 だから、どこかで自分の道を見直すことになるだろうとは予感していた。そこで直感的に思ったのは「見直すとしたら40歳やろな」ということだ。

 何より、40歳なら気力も馬力もある。やり直すことは充分に可能だ。それはこれまでの人生でさまざまな人たちに出会ってきた中での、自分なりの結論だった。

 だから38歳になって収監されたとき、最初に心をよぎったのもそれだった。「そろそろ自分も分岐点にさしかかったんじゃなかろうか」と。

 とは言っても、今は塀の中だ。何かをしようにも限られている。かといって、「仮釈放になってから考える」では俺らしくない。これまでも即断即決の男でやってきた。それは変えられない。

 そこで、ふと思いついたのが「法律関係の資格を取る」ということだった。警察は俺を武闘派と見ていたが、俺自身は頭を使って稼ぐほうが好きだったし、そうやって来た。そんな中で「おもしろい職業やなぁ」と思っていたのが弁護士や司法書士という仕事だ。

「法律を守る」「法律を破る」というのは普通の発想だ。「法律はうまく使うものだ」というのが俺の頭の中にあった。それを職業としてやっているのが弁護士や司法書士といった、いわゆる「士業」という国家資格だ。

 しかし、簡単に合格できるようなものではつまらないし、そもそもそれじゃあ他人から使われて終わりになる。

 だから、まず俺は「司法試験」にチャレンジすることを考えた。司法試験は弁護士、裁判官、検察官になるための入り口だ。普通は大学の法学部とか、いわゆるロー・スクールと言われる「法科大学院」を出てから試験に挑戦するものだが、そこは運転免許と同じで、学校に行かずに、まず予備試験に合格し、それから司法試験の本試験に挑むということもできる――そういうことは何となく知っていた。

 元ヤクザで40歳を前にした男が、弁護士資格を得るというのはけっこう格好いいんじゃないかと考えたわけだ。中学しか出ていなくても、英語とか数学の問題が出るわけじゃない。法律は日本語で書いてある。怖くはない。