1ページ目から読む
3/4ページ目

 そもそも変なものをカラダに入れるのがイヤなのだ。病気を患って病院に行くことはあったが、処方された薬をまともに飲むのも避けた。

 とはいえ背中には立派な般若が彫ってあるので、矛盾していると言われればそのとおりで、これは反論のしようもない。ま、人間というのは矛盾の塊だ、ということにしておこう。

「お前は将来、ヤクザになる」

 そんなわけで、中学生の頃は男だけでつるみ、とにかく悪さばかりしていた。

ADVERTISEMENT

 当時から普段着は圧倒的に白が多かった。どこで買っていたのかは思い出せないが、ガキのくせに白いジャケットとスラックス姿である。当時からファッション雑誌などは見ないで自分のフィーリングで選んでいた。なぜかずっと白が好きで、地元の成人式も白いスーツを作って出席した。

 今でも白は大好きで、今の俺の事務所の応接室も白がキー・カラーである。そんな格好ばかりしているから、中学生ですでに、今は無き大日本平和会(1997年解散)系幹部の自宅(岡山県内)にひんぱんに出入りするようになる始末である。

 中学校生活も後半に差しかかる頃になると、すっかり一人前の不良で、教師たちからは「お前は大人になったら絶対にヤクザになるぞ」と言われ、同級生たちも俺のことを「極柳(ごくりゅう)」だの「極道先輩」だのと冗談交じりに呼んでいた。

ヤクザ時代の筆者(写真:本人提供)

 もっとも俺は学校で浮いていたわけではなく、女子生徒ともけっこう仲よくやっていた。今でも地元にはその当時から仲がいい女子連中がいて、たまに会うと昔話に花を咲かせている。

 一方で、ある時期からは密かに勉強もしていた。いつだったか、「このままでええのんかいの」とふと思った。

「まったく勉強しないで好きなことばっかやって、このまま無知なオッサンになるのは、格好が悪い、悪すぎる」

 今思えば、獄中で司法書士試験の勉強を始めたのとも通じる心境だったが、「最低限の知識だけは習得しよう」と急に考えて実行することにしたのだ。

 とはいえ、いきなり全科目を勉強するのはムリである。国語と数学だけきちんとやっておけばいいと思い、教師や不良仲間には内緒で数学の学習塾に通い、国語は自宅で一人で勉強した。おかげで数学や国語の成績はそれほど悪くはなく、不良仲間は「何でや」と不思議がっていたが、俺は笑ってごまかしていた。

 内緒で塾に通っていたおかげもあって、地元の高校を受験して合格もしていたが、ほとんど行かなかった。試験は母や担任が「受ければ合格する」と言うからしょうがなく受けただけで、自分が行きたいわけではなかった。それにどうせ遊び仲間はみんな不合格だったから、そんな高校に通ってもつまらんと思った。

 そんな俺を見て担任は「お前はやればできるのに」と泣いていた。両親からは何か言われた記憶はないが、ガッカリはしていたと思う。だが、俺が行きたくなかったのだから、しかたがない。今も後悔はない。