商店街の肉屋のおっさんが、包丁を持って止めに来たのである。みんな文字通りクモの子を散らすように逃げ、俺たちは通りがかりのバスに飛び乗った。
バスの中でほっとして、3人で「助かったのう」と笑い合ったのを覚えている。そのへんはまだまだガキだった。
「俺は絶対にこんな格好悪い姿をさらしたくねえな」
そして、週末の夜は、たまり場にしている仲間の家に集まってはカラオケボックスに行ったり、深夜から日曜日の夕方まで盗んだバイクや改造車を乗り回したりしていた。暴走族から譲ってもらった車検もないクルマのハンドルを握り、無免許で出かけるのである。ガソリン代や飲み食いの費用は、みんなで数千円ずつ出し合って充てていた。
暴走族には知り合いもいたが、俺はそこに加わりたいとは思わなかった。当時からクルマが好きだったし、悪天候のときもクルマのほうが断然便利なので、バイクにはほとんど乗らなかったというのも大きな理由だ。
クルマと言えば、最初は友人の母親が持っていた自動車をコッソリ拝借しての無免許運転である。エンジンをかけると音で分かってしまうので、そいつの家から少し離れたところまでみんなで押して、離れてからエンジンをかける。運転は動かしているうちに自然に覚えたが、よく事故を起こさなかったものである。
友人もみんな少年で無免許運転なので、警察に追い回されては逃げる、の繰り返しであった。
1970年代後半の不良たちは、みんなこんなものだったのではないか。ずいぶんのんびりしていた。
俺は、ゲームにも興味がなかったから、当時からゲームセンターにはほとんど行っていないのだが、なぜかゲーセンに設置されている自販機のうどんは好きで、よく食っていた。今でもたまに食べる。
聞くところによると自販機のうどんは西日本では有名だが、東日本にはあまりないらしい。めちゃくちゃうまいわけでもないのに、今でもつい食ってしまうのは我ながら不思議だ。
タバコは中学生から吸っていたが、クスリ(=違法薬物)の類は一切興味がなかった。不良仲間の中にはシンナーを吸っているヤツもいたが、俺はバカにしていた。涎を垂らしながら呂律の回らない、バカみたいなしゃべり方をするヤツらはマジで嫌いだった。
「俺は絶対にこんな格好悪い姿をさらしたくねえな」
昔も今もそう思ってきた。酒もきれいに呑んでいるつもりである。