20年11月の会見で秋篠宮は国民に向けて次のように述べた。
「憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重するべきものだというふうに考えています」
これまでの彼の考えを補強したに過ぎない。日本国憲法は、象徴天皇制が拠(よ)って立つ太い根っこであり、彼にとっても原理原則である。
秋篠宮さまは何を気にしていたのか
最初から一貫して彼は眞子内親王の「結婚は認めている」のだ。では、何を気にしているのか。
それは彼女が、内親王という重い立場にあることだ。生まれながらにして「公人」なのである。だからこそ、多くの国民は、彼女の誕生に喜び、立派に成長する姿を見て自分の娘のことのように祝福してきた。
内親王としての務めを果たすということは、すなわち「納采の儀」をはじめとした皇室の結婚儀式を無事に終え、手順を踏んで結婚式を挙げることである。
結婚は本人たちの合意があればできる。しかし、納采の儀は、秋篠宮家と小室家という「家」同士の問題である。そこに関しては、秋篠宮が儀式を執り行うか行わないのかを決める権限を持つのだ。
「やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません」
会見や私を前に繰り返した発言もまた、彼の本音なのである。
父親として、皇族として、悩みに悩み抜いている姿を側で見るのは辛かった。
私は、天皇と秋篠宮が、国民からの熱狂的な祝福を受けて結婚したことを鮮明に記憶している。二組の若いカップルは結婚というプロセスを通じて、多くの国民と皇室を強く結び付けた。「国民とともにある皇室」の理想的ともいえる在りかたについて、彼らは自分たちの結婚から学んだ。
こう考えると、多くの国民たちが、秋篠宮とその兄天皇の結婚と比べて、眞子内親王の入籍だけの結婚を異例の事態と考えてしまうのも無理はなかろう。眞子内親王は、「国民とともにある皇室」の重要な一員なのである。
もっとも、そのことを本人が重圧と捉えている可能性もあるのだが。
(#2に続く)
その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。