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「89年(平成9年)の年末に夫が急死してしまいましてね。急性心筋梗塞だったのよ。元々が太り気味で血圧も高かった、だけど病院嫌いで定期的に通院して状態をチェックしたり必要な薬を飲んだりしてはいなかったんです。それが悪かったんでしょうね」

 今で言う突然死で享年は46歳。これで生活が一変した。

©AFLO

「わたしには寿司は握れませんからね。それで業態を変えて定食屋を始めたんです。近所には中小企業、町工場がたくさんあって盛況でしたよ」

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 営業はランチタイムの11時から14時までと、夜6時から9時までの2部制。お酒を出して夜11時までやれば稼ぎは多くなるだろうが、1人ですべてを切り盛りするのは体力的に無理だった。

「ご飯屋は11年やりましたね。大きな儲けはなかったけど親子3人が暮らしていけるだけの収入はありました。ところがお店を閉めなきゃならなくなりまして」

 店舗兼住まいは賃借だったが立ち退きを求められたということだ。

「自分の所と両隣の土地所有者が亡くなったということで、相続税を払うために売らなきゃならないということでした。管理会社経由で地主さんから連絡があり、2ヵ月後には買ったデベロッパーの人が来て6ヵ月以内に退去してくれと言われました」

 デベロッパーの言うことは半年前通告というもので法的に問題なし。預けていた敷金と僅かな立退き料で出ていかざるを得なくなった。

年金暮らしをパートで補う

「閉店して墨田区に引っ越したのは08年の秋です。働かなきゃ食べていけないから初めてハローワークに行きましたよ」

 時代はリーマンショック直後で失業率が悪化していたが、調理技能があることが助けになって給食サービス会社に入ることができた。

 配属されたのは大手町にある某大手企業の社員食堂、賃金は日給月給制。月収は時間外分と若干の手当を合わせて平均すると18万円ほど。

「6月と12月には慰労金も出ました。だけど年収はずっと240万円~250万円というレベルでした。それでも社会保険に加入できたのはありがたかったですよ、自営業者は社会保障が薄かったから」

 この給食サービス会社の定年は60歳だったが65歳まで契約社員で働き、その後の2年2ヵ月も1日4時間勤務のパートで働き続けた。

「パートのときは時給1100円という条件でした。だけど新しく入ってきてもすぐに辞める人がいたり、本人の病気やケガ、家族の介護などで休む人が多かった。その穴埋めがかなりあったので月収は10万円前後になる月もありました」

 今やっているクリーニング取次店のパートに転職したのは再度引っ越したから。

「運良く都営住宅の抽選に当選しまして。それで転居したんです」