日本はもはや豊かな国ではなくなった。2019年の国民生活基礎調査で「生活がやや苦しい・大変苦しい」と答えた世帯は54.5%。ところが日本では、困難な状況にある人が声を出して助けを求めるのは恥という風潮が強く、貧困の実態が見えづらい。

 ここでは、不動産管理会社に勤務しながらルポライターとして取材活動を続ける増田明利さんが、経済的に困窮している17人に取材し貧困社会の実態を浮き彫りにした『お金がありません 17人のリアル貧困生活』(彩図社)から一部を抜粋。

 68歳でクリーニング店のパートジョブを続ける三村昭子さん(仮名)の声を紹介する。(全4回の4回目/最初から読む) 

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三村昭子(68歳)

出身地:神奈川県川崎市 現住所:東京都調布市 最終学歴:高校卒

職業:クリーニング取次店受付 雇用形態:非正規(パートタイマー)

収入:月収5万5000円前後、他に年金あり

住居形態:都営アパート 家賃:約1万8000円

家族構成:独身、夫とは死別。長男、長女は独立 支持政党:特になし

最近の大きな出費:炊飯器の買い換え(6780円)

定食屋の店じまい

 12月の給料(11月16日~12月15日まで)は出勤日数がいつもの月より4日多かったので6万4000円ほど。先週末にはボーナス代わりに餅代として5000円の寸志も出たので12月分の収入は合計すると約6万9000円。

「老体に鞭売って頑張ったのですが、今年1年の給与収入は70万円に届かない。働いているといっても4時間パートで1日置きの出勤ですから」

 12月分の明細書と一緒に源泉徴収票も渡されたのだが、記載されていた給与収入は約68万円だった。

「今は年金とクリーニング取次店のパート収入でどうにか暮らしています。余裕なんてありゃしませんよ。持病、生活習慣病はなく至って健康です。あっちが痛い、こっちが痛いということもありません。使ってくれるならもう少し働きたいのですが、この年齢では難しいですね」

 高校を卒業して社会人になったのは72年(昭和47年)。就職したのは化学メーカーで、工場の庶務課で働いていた。

「結婚したのは28歳のときでした。相手は高校の同窓生で2歳上の人です。実家が寿司割烹店を営んでいて夫も寿司職人でした」

 結婚した翌々年に独立。葛飾区内に自分の店を持って夫婦2人で懸命に働いてきた。

「商いは順調でした。夫は人付き合いも良く、新参者でしたが町内会や商店会の皆さんともいい関係で役員をやったりしていました」

 商売はまあまあ。息子と娘も生まれ、それなりに充実した生活を送っていたが一気に暗転してしまった。