心に響いた親友のアドバイスだ。私が一番つらい時に多忙な友人がわざわざ私をドライブに連れて行ってくれ海を見ながら車内でこの言葉をくれた。当時の自分は最悪の状態で「自分以上にひどい状態にある人がいない」と心の底から思っていた。博識で深謀遠慮ある彼が、長い沈黙の後、選んで私にくれたこの言葉は即効的ではなかったがじんわりと今でも心に染みわたり続けている。
ギリシアではそれを「オクシモロン」といい、中国では「陰陽」という。幸・不幸、美・醜、成功・失敗、正義・悪、成長・衰退等々、すべてが同時にあらゆるものに存在しているのだ。昨日シンガポールの象徴と言われるホテルで友人とこれから始まるワクワクするプログラムの打ち合わせをしていた時、ふとコーヒーをすすりながら「あれ? なんで俺はこんなところでこんなことをしているのだろう」と思い、ものすごいスピードで過去を振り返った。禍福は糾える縄の如し。
すべては自分の心次第
自分の身に起こったことの大半は自分の決断からきている。いろんな決断をして様々な目にあった。未熟で甘い決断が多かった。今でもそうだ。しかし、今思い返してみると、当時「思い出したくもない」「関係者全員を呪いたい」「自分もあの人も死ぬまで許せない」と思っていたイベントが、今になって、評価の時間軸を変えてみると、「ありがたい」「目を見開かせ、考えを変えさせてくれた」ものであると感謝したくなる。
時がたてば、自分の身に起こったイベントの意義というか評価が変わる。自分の決断の評価も変わる。最高の決断もなければ最悪の決断もない。ラッキーも不幸も同時にあり、同時に無い。どの時間軸で何を評価するかで何とでも評価できるのだ。
すべては自分の心次第ともいえるのかもしれない。幸せの絶頂で悦びに浸ることも大事だし、不幸や失敗のさなかに辛酸をなめるのも必要だ。しかし、ずっとそこにいてはいけないと思う。禍福は同時に存在し、同時に存在しないのだろう。138億年前に生まれた宇宙の藻も屑くずが92億年かけて地球になり、そこから46億年かけて私になり、どんなに権力やお金があろうが、サイエンスが発展しようが、フェアにわれわれはやがて宇宙の藻屑と消えていく。それは素晴らしいことであり、それはそれだけのことでもある。そしてすべては自分の心次第である。