文化祭では「等身大のドラえもん」を展示
――大作を作ったことで、周囲からも注目されたのでは。
三井 早くからインターネットでの発信を始めたのも、リアルな反応がもらえたからです。私が中学3年だった2000年代初頭は、ちょうどインターネットが普及し始めた頃でした。私もホームページを自作し、作品を公開したら、海外の人からも反応をいただけて刺激になりました。
――学校でも、三井さんのレゴ活動は有名でしたか?
三井 学内でも知られるようになった最初のきっかけは、高校2年のときの文化祭でしたね。教室を借り切って、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)内で流行していたアスキーアートを展示したりしていました。
灘はさまざまなジャンルの猛者(もさ)がいて、かつそういう生徒たちを尊重している雰囲気がありました。翌年の文化祭では、等身大のドラえもん(身長129.3センチ、胸囲129.3センチ)を作ったりもしました。
――日本屈指の進学校で当時、印象的だった授業や先生の言葉はありますか?
三井 「灘校生には知識はあっても知恵がない。知恵を使え」――美術の先生からよく言われた言葉で、これはインプットだけでなく、アウトプットもする。両方することで、知識を自分のものにせよという教えだと私は解釈しています。
――そして、高校3年のときにはついに『TVチャンピオン~レゴブロック王選手権~』に出場されます。
三井 予選を無事通過し、レゴブロックの生誕の地であるデンマークで決勝に挑みました。しかし、残念ながら結果は準優勝でした。
――そのまま東大に現役合格されるわけですが、これまでの経歴を振り返ってみてもあまり“挫折”が見えません……。どこかでつまずいた経験はないんですか?