幼少期にレゴを手にしたことがきっかけで、高校3年生で『TVチャンピオン~レゴブロック王選手権~』に出場。その数年後の大学院時代には日本初のレゴ認定プロビルダーとして認められた三井淳平さん。
今ではアメリカのボストン美術館に飾られるほどの唯一無二の作品を手掛ける、その才能はいかにして生まれたのか? 36年にわたる彼の人生を追った。(全2回の1回目/後編を読む)
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1歳でレゴ遊びを開始、中学で2メートルの大作に挑戦
――レゴブロックに興味を持ったのはいつから?
三井淳平(以下、三井) 3歳上の兄から影響を受けました。昔の写真を見ると1歳からレゴで遊んでいたようですが、記憶にあるのは4歳くらいからですね。
――レゴブロックのどこが面白かったのでしょう。
三井 “終わりがない”ところでしょうか。私にとって、レゴ遊びは壊すまでがセットなんです。小さいころは兄が作ったものを崩していく過程で学べることがたくさんあり、そこから構造や組み方などの技術を盗んでいました。とはいえ、当時はまだプラレールやゲームなど、レゴ以外の遊びもしていましたけどね。
――中学は関西の超名門校「灘」に進学。当時はどんな子どもでしたか?
三井 もともと中学では野球部と化学部に所属していました。中学3年のときに野球部をやめたことで、時間ができたんです。そこからレゴ熱が再燃し、1~2ヶ月かけてアポロ計画で打ち上げられた「サターン5型ロケット」(高さ2メートル)を作りました。
――大きい! 部品集めも大変そうです。
三井 部品はレゴファンがパーツを売買する海外通販を利用しました。送料を抑えるため航空便ではなく船便を選んだので、届くまでに2ヶ月待ちましたね。
私は生まれが兵庫の明石で、明石海峡大橋(※1988年5月に着工、1989年4月に完成)ができていく様子をすべてベランダから眺められる環境で育ったんです。ものづくりや、スケールの大きいものへの憧れは、そこに原点があると思います。