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 実際に入学してみると、話に聞いていた以上にハードでした。毎日のように長距離走やダッシュ系の、下半身を鍛えるトレーニングメニューを、練習の間ずっとこなしている毎日。本数をこれだけこなしたら終わり、というものではないんです。4時間、5時間は当たり前。ときにはグラウンドの外を走っていることもありました。

「オレは野球をやりにきたのにな。なんで陸上部みたいなことを毎日やっているんだ?」

 そんな思いを毎日抱いていたのです。

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 一方で入部してから早い段階で、原田監督からチャンスをいただきました。1年生の春から練習試合で投手として先発するたびに好投し、1巡目、2巡目はすんなり抑えられていました。

 初めの頃は、「おお、なんとか抑えたな」と安堵しながらマウンドを降りていたのですが、投げるたびに相手チームを抑え続けたことで、ピッチングの面白さとともに、「こうすれば抑えられる」というコツのようなものも少しずつつかんでいき、1年生の夏の京都予選も先発で起用してもらえるまでになりました。

高校時代は甲子園準優勝の実力とビッグマウスで有名だった ©️文藝春秋

 初戦で対戦した相手は、南京都(現京都廣学館)。後にダイエー(現ソフトバンク)にドラフト1位指名された斉藤和巳さん(現ソフトバンク一軍投手コーチ)が3年生のエースとして君臨していました。

「ドライチレベルの投手が南京都におるらしいな」

「背が高くて、ごっつう速い球を放るヤツらしいで」

 斉藤さんについては当時、こんな評判をよく耳にしていましたが、この試合では2つの衝撃がありました。

選手を指導する川口氏 ©上野裕二

プロのスカウトに「うわー、めっちゃ緊張するわ」

 1つはバックネット裏にスカウトの方たちが陣取っておられたこと。それまでプロのスカウトは見たことがなかったのですが、斉藤さん見たさに大人の集団がスタンドからグラウンド内を鋭い眼光で見ているのがわかりました。僕が見られているわけではなかったのですが、「うわー、めっちゃ緊張するわ」と内心穏やかではありませんでした。

 もう1つの衝撃は、斉藤さんの投げるボールでした。左打席に入ってマウンドから思い切って右腕から振り下ろされたボールを見た僕はたった一言、「はやっ!」と驚くばかり。140キロは優に超えていたと思いますが、それまで見たことのないボールの速さとキレに、「こんなの打てるわけあらへんわ」とあっさり白旗を上げてしまいました。

 結局、試合は2対5で敗退。悔しさは当然ありましたが、同時にこうも考えていました。

「斉藤さんのようなボールを投げることができたら、ドライチ候補になるんやな」

 目標設定ができたことは、僕にとって大きな収穫でした。残り2年間で、斉藤さんの位置にたどりつけるかもしれないし、そうならないかもしれない。けれども目標を達成させるためには、一にも二にもハードな練習が必要なんや――。そう思いいたったのです。