「家の壁という壁に『世界チャンピオンになる』という目標が貼られて、ビデオテープがすり減るくらい毎日何度も一流の選手の試合を見せられてた。今考えたら親父は周りが見えなくなっていたんだろうな。俺にしてみればそんな生活は楽しいものではなく、つらいとしか思わなかった。でも、家の中でそれしかないから、別の価値観がなかったんだよ。だから嫌でもなんでも、それをするしかなかったんだ」
教育虐待の下で育った子供たちは、洗脳されているからといって必ずしも親の敷いたレールに乗ることをよしとしているわけではない。どちらかといえば、常に息苦しさを感じている。だが、他の生き方を見せてもらえないため、嫌だと思っていてもそうして生きることしかできないのだ。
スポーツにおける教育虐待といえば、亀田三兄弟が思い浮かぶ。父親の亀田史郎の厳しい特訓によって、亀田興毅、大毅、和毅の三兄弟は世界チャンピオンになることができた。この三兄弟のように素質があって世界の頂点をつかむことができれば、親の荒々しい指導も虐待ではなく、「英才教育」と見なされるだろう。
だが、そんな夢物語を体現できるのは一握りもいない。
「世界チャンピオンになれないお前は、一生クズだ」
元暴力団の男性を待ち受けていたのも悲しい結末だった。連日の激しい練習が祟り、10代半ばで頸椎を損傷して長い入院生活を余儀なくされる。そして医師の判断で、選手生活を断念せざるをえなくなったのだ。
父親は自分の夢を実現できなかった息子に対して失望をあらわにし、毎日のように口汚く罵った。「お前は俺がかけた時間と金をすべて台無しにした」「世界チャンピオンになれないお前は、一生クズだ」……。男性は、選手生命を絶たれた時点で自分の人生は終わったと思った。そして自暴自棄になって犯罪の道に走ったという。
親が意図的に行う洗脳とは別に、親族の間に漂う特殊な空気が子供を洗脳するケースもある。
代々政治家を輩出している家系の空気が典型的な例だ。このような家では、子供は生まれながらにして将来は親の三バン──地盤、看板、鞄──を引き継いで、政治家になる宿命を背負わされる。親族だけでなく、地域の人たちもまたそういう目を向けてくる。
こうした環境で育てば、子供は自ずと親族が決めたレールの上を走らなければならなくなる。政治家になるのを拒むことは、親族だけでなく、地元の支援者に対する裏切り行為でしかない。親の過度な期待に応えられるだけの力があればいいが、そうでなければ重圧でしかないだろう。
かつて私が女子少年院の取材で知り合った少女が、これと似たような家庭で育っていた。実家は地元では名の知れた名士の家であり、学校経営をはじめいくつもの事業を手掛けていた。親族はみな地元の国立大学を卒業後、若くして系列の会社の重役を務め、特に優秀な者たちは市議会議員や県議会議員になっていた。