1ページ目から読む
3/5ページ目
それでも杉元/尾形が成就しないワケ
杉元と尾形のカップリングは人気が高く、一定の割合の読者はこのような杉元と尾形の関係性を読み取っていることは間違いない。
『ゴールデンカムイ』が異性愛家族主義的であるとしても、作品内で抑圧される要素に注目し、本筋に逆らった作品理解を示すことは可能であるし、実際にファンたちはそのように読んでいるのだ(とはいえこれは男性同性愛の当事者にとっては自分たちの姿が、別の目的のために利用されているということなので、そのことへの批判もありうるだろう)。
しかし、この杉本の尾形への接吻の瞬間には、アシㇼパと杉元の再会のシーンのほのかなロマンス的要素が続き、そのほのかなロマンス的要素さえもすぐにギャグによって解体されてしまうことが、『ゴールデンカムイ』という作品の理解にはより重要だ。
一行の同行者である「脱獄王」白石由竹は「お邪魔虫だぜ」と言って杉元とアシㇼパを二人きりにしようとする。だが、アシㇼパのまぶたが杉元のコートの金属製のボタンに凍ってくっついてしまう。皮膚が剥がれてしまわないように、杉元は白石におしっこをかけるよう依頼する。
杉元の尾形に対する接吻よりも、杉元とアシㇼパのほのかなロマンスよりも大きく、見開き2ページで2回、計4ページを使って、白石のおしっこがほとばしり3名が乱舞する姿が描き出される。やはりギャグが物語の前面に現れるのだ。
ギャグに加えて性的な全能性(ファルス=象徴としての男性器)への執着も作品中でさまざまな性愛や関係性の可能性を禁止する作劇上のギミックとして利用されている。