前回は、『ゴールデンカムイ』において、刺青が女性器の隠喩として機能し男性の身体を徴付けることで、男性登場人物中心の物語でありながら、男女二元論を体現していることを確認した。

 刺青=女性器を欲望し異性愛家族規範の中にとどまる人物は生き延び、刺青=女性器に関心を示さない者や有徴化された倒錯者たちは無惨に殺される。

 作品全体は異性愛家族主義的なので、作中の男性同士の性的関係はあくまでギャグとして処理されてしまう。しかし、作品の内部で男性同性愛がギャグとして消費されるからと言って、読者の頭の中でも同じようにギャグとしてのみ消費されるわけではないことは、二次創作作品を見れば明らかだろう。

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 今月刊行予定の学会誌『表象』に掲載される拙論「刺青に突き立てられる刃:『ゴールデンカムイ』における皮膚上の記号作用とギャグの機能」をもとに、今回はこの点に注目し、ファンがどのように『ゴールデンカムイ』を見ているかを検討してみよう。(全2回の2回目/はじめから読む)

 

なぜファンは『金カム』からBLを読み取るのか

 他の多くの現代日本の漫画・アニメと同様、『ゴールデンカムイ』の男性キャラクター同士の性的・非性的なカップリングを妄想し、二次創作を楽しむファンは多数存在する。

 このような、原作には存在しない男性同性愛関係性を読み込んだ主に異性愛女性による二次創作は、女性や性的マイノリティが自身の声/欲望を表明する場が限られている時代にそうすることができる場として肯定的に評価されてきた(もちろんネットが発達した現代において、他者の姿を使って自分の声/欲望を表現することを肯定できるかという問題はある)。

 とはいえ『ゴールデンカムイ』という作品自体がBL的であるという言い方はできないだろう。前回指摘した通り、同作では性的な逸脱をする人間は作品の異性愛家族規範から弾き出されるからだ。

 しかし、原作では男性間の性的関係性をギャグとして無効化しながら、ファンによるBL的二次創作が盛んであるということは矛盾しない。むしろ、原作の中での同性愛嫌悪が強ければ強いほど、ファンが原作内で抑圧された同性愛的な文脈を二次創作で表面化させるという指摘もある。

 このことを検討するために、本作の中でも最も人気のあるカップリングの一つである杉元/尾形関係を分析しよう。