藤田 当時は、嫌なことがあっても共感しあえる仲間がいたから、「わかるー」って話をすれば気持ちは落ち着きました。
ただ、差別してくる大人たちに対して「はぁ? マジ意味わかんない」としか反論できなかったから、「絶対になにか間違っているはずなのに……」という気持ちだけ抱え続けていて。運送会社のバイトを辞めなかったのも、言われっぱなしじゃ悔しかったからなんですよね。
「ムカつく! このままじゃ終わらせないぞ」と先生たちを見返す
――「見返してやる」みたいな?
藤田 そうです、そうです。「ムカつく! このままじゃ終わらせないぞ」って(笑)。
実際、最初の頃は、会社の人はほとんど口をきいてくれなかったんですけど、自分ができそうな仕事を見つけて、見よう見まねで封筒にハンコを押したり伝票を県別に分けたりやっていたら、社員の人が教えてくれるようになって。2年ぐらい経ってくると、お土産をくれるようになり、3年目になると会社のバーベキュー大会に呼ばれる仲になりました(笑)。
先生たちも見返したくて、高校3年間無遅刻無欠席の皆勤賞をとり、卒業式には答辞を頼まれました。
――19歳で起業した原動力もそこにありますか。
藤田 「お前みたいなヤツでも皆勤賞で卒業できることを皆に伝えたい」と先生から言われて。その時にギャルのイメージを変えることができたと思って、すごく嬉しかったんです。でも、卒業して社会に出たら、高校時代とまったく変わらないギャルへの風当たりが強い状況があって。それで、「もうこれは“ギャル革命”を起こすしかない」と思ったんです。
撮影=深野未季/文藝春秋
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