40年以上、報道の第一線で活躍したキャスターの安藤優子さん。46歳からは働きながら12年間上智大学の大学院に通い、「なぜ日本は女性の国会議員が少ないのか」をテーマに研究を続けたと言います。

 その際に執筆した博士論文をもとに、昨年、『自民党の女性認識』(明石書店)を出版。論文執筆の作業は、20歳でテレビ局に飛び込んだ時から感じ続けてきた「男社会」への違和感と向き合う作業でもあったと言います。

 安藤さんが時に“ペット化”、“おっさん化”し、女性であることを封印して働いた後悔から見えてきた、「個」を大切にする社会とは。

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安藤優子さん

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報道の世界にいると「普通の生活がまったくできない」

――報道の世界に身をおきながら、社会の女性に対する認識に問題意識を持ち続けていた安藤さんですが、育ったお家はどんな家庭でしたか。

安藤優子さん(以降、安藤) 母はずっと専業主婦で、おいしいご飯を作ってなんぼだと思っていたし、できれば夫や子どもを「お帰りなさい」と迎えてあげたい人でした。だから、そういう意味では保守的な、ごく普通の家だったと思いますね。

――その一方で、安藤さんの活躍は応援されていた?

安藤 いつも私の番組を見ては、「男みたいなスーツ着ないで、ピンクとかかわいらしい服を着なさいよ」と小言を言っていました。私が危険地帯に取材に行くことについても、「なんであんたが行かなきゃいけないの。そんなの木村太郎さんが行けば良いでしょう」と(笑)。

 私も母の前ではしょっちゅう、「もう辞めたい」と愚痴っていました。

――それだけ報道の仕事が大変だったんですね。

安藤 とにかく普通の生活がまったくできないんです。いつか数えてみたら、17年連続で大晦日とお正月、日本にいなかったことがわかって。中でも一番寂しかった正月は、日本から持ってきたインスタントラーメンにお餅を入れた雑煮をソビエト連邦で食べた時ですね。

 大学生の時も、皆がテニスや合コンに精を出す中、私だけ田中角栄さんを追っかけて新潟へ飛んで。キャスターになってからは当然24時間ファイティングポーズで、ポケベルや携帯電話を肌身離さず持って、呼ばれたらいつ何時でも駆けつける。

 

 で、そういう生活を続けているとわけもなく「もう辞めたい」となるんですけど、母からは、「あなたに仕事をしてくれなんて頼んだ覚えは一切ない。辞めたければ辞めれば?」と突き放されて。それで辞めなかったんです。すごい意地っ張りだよね(笑)。

――そうは言っても24時間、男社会で戦い続けるのは大変だったのでは。

安藤 「女のくせに生意気だ」と言われたら“ペット化”して可愛がられるようにしましたし、仕事ができるようになってくると今度は女性であることを封印して働きました。