――俳優を目指し始めたのは、小学校4年生のときだったとか。周りには「俳優になりたい」と言っていたのでしょうか。
佐藤 まったく言っていないです。卒業文集とかに将来の夢を書くじゃないですか。そういうのにも書いてない。誰に言わずとも「俳優になる運命」だと思っていたから。
でも一方で、「本当に俺は俳優で食べていけるのか?」という不安もあったんです。それで、俳優の道に進む勇気が持てず、大学時代は一般企業への就職活動をしていたのですが……。本音では俳優になりたいから、面接で中途半端なことしか言えなかったんですよ。それで、ことごとく面接で落ちちゃって。
――それでも、新卒でリクルートに入社しています。
佐藤 結局1日で退職してしまったんですけどね。ひとつ言っておきたいのは、リクルートは今も昔も素晴らしい会社です。2019年には、僕が1日で退職した背景を知りながら、リクルートが発行してた季刊誌『アントレ』の表紙をオファーしてくれたんですよ。なんて懐の深い会社だろうと思いました。
そんな会社を1日で辞めたのは、ただ僕が中途半端だっただけ。入社式の席で「これから俺はこの人たちと一緒に働くのか。つまりこれで俳優を諦めることになるのか」と、まだ夢を捨てきれていない自分の気持ちに気づいてしまって。いても立ってもいられず、会場を飛び出してそのまま鈍行に乗って愛知の実家に帰ってしまいました。
当時は今以上に新卒至上主義だったから、父親は半泣きでしたね。「なんで1日で辞めるような会社に入ったんだ」って宇宙一正しい正論を言われました。そのときの父の顔はいまだに覚えています。
「暗黒の20代」を妻はどう思っていたのか?
――それからはどのような20代を過ごしたのですか。
佐藤 リクルートを正式に退職してからは、登戸にある小さいアパートの部屋を借りて、俳優研究所に入るお金を貯めるために塾講師をしていました。その1年後くらいに1つ目の研究所に入っています。でも劇団員に昇格できなくて。
それで妻と出会った2つ目の研究所に入ったのですが、そこでも昇格できなかった。結局俳優の道を諦めて、小さい広告会社の営業職に就いたんです。でもやっぱり、悔いが残ってしまって。
――再び俳優の道を目指すことにしたのですね。
佐藤 そうです。ただそのときは、当時彼女だった今の妻と結婚も考えていました。だから、「また夢を追いかけながらバイト生活を続ける日々に戻っていいのか?」と悩みました。でも、彼女は何も言わずに許してくれた。
それから何十年も経って、あるバラエティ番組に出演したときに、サプライズで当時の気持ちを妻に聞くって企画があったんですよ。僕は彼女が「夫の才能を信じていました」とか、良い話をしてくれるのかなと期待していたんです。だけど、「若かったから特に何も考えていませんでした」「悔いの残らないように好きなことをやれば? と思っていました」としか言ってませんでしたね。
――十分、良い話だと思います。
佐藤 まぁ、なんだかんだ僕のことをずっと見守ってくれているんですよ。暗黒の20代でもめげずに俳優の道を進めたのは、演技が好きなのはもちろん、妻のおかげでもあります。あ、また惚気てしまった、これはいかん!
撮影=石川啓次/文藝春秋
スタイリスト=鬼塚美代子/アンジュ
ヘアメイク=今野亜季/A.m Lab