森本慎太郎扮する山里亮太と髙橋海人扮する若林正恭が、自身の半生がドラマ化されるという発表をし、その主演の森本慎太郎と髙橋海人と対面する。そんな頭が混乱するようなシーンが『だが、情熱はある』(日本テレビ)の最終回で生まれた。さらにはドラマを見ながらSNSで実況する慎太郎山里や、海人若林が撮影現場に差し入れを持ってきて髙橋海人が受け取ったりしている。現役バリバリで活躍する山里亮太と若林正恭の半生を連続ドラマ化する、という難題に挑んだ本作。もっとも難しいのではないかと思われていたのが、物語の閉じ方だ。
実際、河野英裕プロデューサーに5月中旬の時点で取材した際も「本音を言うと本当に迷っています」とまだ決めかねていた。南海キャンディーズもオードリーも賞レース優勝のような都合のいいクライマックスは用意されていない。ならば、どう終わるのか。その答えは、ドラマ化後の「現在」にまで追いつくことだった。前代未聞だ。だが、これこそは「現在」を描く地上波のテレビドラマならではの表現といえるだろう。
まずこのドラマが話題を呼んだのは、主人公2人の憑依っぷりだ。口調から仕草までそっくり。それでいていわゆる「モノマネ」とは違う2人のコアな部分を表現した演技。それに引っ張られるようにそれぞれの相方、春日俊彰役の戸塚純貴やしずちゃん役の富田望生も完璧に演じきった。当初は漫才自体を描くことはしない予定だったという。何しろ漫才は同じセリフを言っただけでは面白みを再現できない。下積み時代の漫才ならともかく、『M-1』で準優勝するような漫才が笑えなければ台無しになってしまう。そこが芸人を題材にしたドラマの難しさのひとつだ。しかし、彼らはちゃんと面白い漫才を披露出来てしまうほどに憑依していたのだ。彼らの漫才は、ドラマに絶大な説得力と得も言われぬ深みを与えた。
ドラマでは、藤井隆演じる谷ショーこと谷勝太(マエケンこと故・前田健がモデル)は若林に繰り返し「ねえ、いま幸せ?」と問いかける。社会とのズレに苦しみながら生きづらさを抱えている2人の泥臭い青春物語はお笑い芸人のみならず普遍的なものだ。「天下を獲る」といったわかりやすいゴールがなくなった時代。芸人として売れた後もそれぞれのステージで何かが「たりない」と感じながら、漠然とした何かをつかもうともがく2人。そのために具体的に何をやったらいいかはわからないから、山里と若林はただ好きな漫才をやり続けた。そこに愚直なまでに完璧に漫才を再現した俳優たちの思いが重なる。その漫才に彼らの“内面”が宿ったのだ。そしてドラマが追いついた「現在」も2人は幸福感をつかもうともがき続けている。
INFORMATION
『だが、情熱はある』
日本テレビ系 放送終了
https://www.ntv.co.jp/daga-jyounetsu/