西日本豪雨で深さ5mを超える洪水に襲われた岡山県倉敷市の真備町。だが、市役所が新たに配布したハザードマップでは、深さ10m以上の浸水が発生しかねないとされた。「もうこれ以上、酷い災害はないだろう」と思っていた人が多かったのに、倍以上の深さで浸水するというのである。しかも、2階の屋根どころか、3階建ての建物さえ屋根まで水没してしまうレベルだ。助かるには、逃げるしかない。だが、それほどの雨が降った時、本当に逃げられるのか。具体的に考えていくと、「逃げようにも逃げられない」事態に陥りかねないことが分かってきた。
3階建ての自宅兼酒屋は2階の天井近くまで浸水
あの夜、真備町の箭田(やた)地区で酒屋とコンビニエンスストア2店を経営する佐藤功一さん(45)はパソコンの画面を見ていた。
真備町では、高梁川とその支流の小田川という2つの河川が氾濫を繰り返してきた歴史がある。
それまでの約40年間は目立った災害がなかったが、功一さんは「いつか絶対に浸かる」と確信していた。このため、台風が近づいたり、梅雨前線の影響で大雨になったりすると、箭田地区を貫いて流れる小田川の水位をリアルタイムで確認するようにしていた。
2018年7月6日の夜は、1階から荷物を上げたり、車を少し高い場所に移したりして“準備”をしていた。そのうち、1階に水が入り込みだす。
「倉庫が浸かり始めた!」。功一さんに伝えられた父の一郎さん(79)は「そのぐらいの水はしょっちゅう来ていた」と、焦らないよう叱りつけた。母の啓子さん(74)も「床下まではしょっちゅう浸かっていた。水の中をじゃぶじゃぶ歩いていた」と話す。だが、この日の浸水は「しょっちゅう」というレベルではなかった。
佐藤家の酒屋兼自宅は3階建てなのだが、2階の天井近くまで浸水し、当時8人だった家族はかろうじて3階に逃れた。
浸水深は約5mと、真備町内でも深く浸かった方だった。
家族も含めて23人が佐藤家の3階に避難
隣の2階建てビール工房は、屋根だけ残して水没し、従業員が屋根に避難していた。流れ着いた看板を頭に載せて雨をしのぐ。せめて傘がさせるようにと、功一さんが景品のビニール傘を投げ渡した。
反対側の隣にある自動車整備店は、経営者の家族が泳いで佐藤さん宅の3階にたどりついた。他にも2階の屋根で救助を待っていた母娘が移ってきた。
こうして佐藤家の3階に避難した人は、家族も含めて23人もいた。
そのまま3階にいるわけにもいかない。約200m離れた市役所の真備支所(旧町役場)は、1階が水没して支所機能を失ったものの、3階建ての2~3階は避難者を受け入れることができた。佐藤家の23人はボートで支所へ移り、さらに陸地を目指して自衛隊の少し大きな船で支所を離れた。被災から2日近くが経った7月8日の夕方のことだ。
この時、自衛隊の船が功一さんが経営するコンビニ店の横を通った。店は水底にあり、ポールの先端に取り付けられた看板だけが水面に出ていた。