そして、宮本被告から5月31日付けの返信が届く。
《真優子さんはご両親が大好きだとよく話をしてくれました。父親が片足不自由ながら一緒にマラソンした話のときには写真を見せながら『すごくないですか。すごいとおもいませんか?』と誇らしげに話をしていました。(中略)よく『名前の通り、真に優しい子だね、君は』と返したことを思い出します。真優子さんに対しては、今も感謝しております。もし、今、彼女に贈る言葉としては『ありがとう』以外に思い浮かびません》
そして、「真優子さんと自分は性格が正反対」とも書いている。
このような素敵な娘を育てたご両親がすばらしい方だということは容易に想像できます
《真優子さんには何事にも挑戦していく姿勢、そしてそれをやりぬく力があることを感じました。これは私には持っていないものです。『健気(けなげ)』という言葉がありますが、これはまさに真優子さんのための言葉だと感じます。ただ単に『甲斐甲斐しい』という意味だけでなく、元来持っている意味の『年齢や体力に似あわず勇ましい』つまり勇気を持って何事にも挑戦していく姿を見て、私には出来ないことをしているこの子はすごい、尊敬するなあと心に思っていました。
(中略)色々ご苦労されたかと存じますが、このような素敵な娘を育てたご両親がすばらしい方だということは容易に想像できます。小職に対して、あのような手紙をしたためることができる方には頭が上がりません》
しかし真優子さんの死の真相については一言も触れず、一方的に「ありがとう」という感謝の言葉を綴る被告に対し、母の由美子さんは次の手紙で疑問と揺れる感情をぶつけている。
《今、まゆっちに贈る言葉は『ありがとう』と尊敬の思い? となると謎は深まるばかりですが……同封したのは4年前12月一緒に食事に行って帰りにもらった手紙です。この約1年半後もっと果てしなく強く丈夫な大人になってく過程での絶命は無念です。何故? どうしてwhyなんで 台風も近づいている気配の昨今ですが、その前に低脳な私の頭の中では疑問の嵐が渦巻いています》