控訴審の期間中、稲田家では三回忌の法要を迎えようとしていた。
「もし良ければ令和3年6月凄惨な犯行当日から二年後の命日の同時刻に合掌でもしていただけると幸いかと思っています。浩志さんのご健康をお祈りしております」
その数日後、再び被告から手紙が届く。
《疑問が渦巻いているとのこと。巷間で小職のことをどのように伝えられているかは具体的にはほとんど知りません。おそらく無責任で適当な情報も多く流れていることでしょう。情報が満ちあふれている中で、正否の判断がつかずにご混乱されているのではないでしょうか》
怒りの感情を押し殺す由美子さんのことを、被告は「ご混乱されている」と表現している。
《また、夜は21時が就寝と決められており、時計もないので同時刻に合掌することは無理です。しかしながら、朝晩、祈念供養を自分なりにしております。(中略)もし可能ならば、真優子さんが好きだと言っていたお花(ガーベラ)を一輪でいいので、仏前に添えていただければ幸いです》
ついに「凶器で刺してる時はどんなお気持ちでしたか?」と怒りが…
手紙でも殺害の真相を語ろうとせず、謝罪の言葉もない被告に対し、いよいよ由美子さんの怒りも沸点に達した。再審判決の直前の手紙に由美子さんはこう書いた。
《頭部と顔面を殴打し頸部および胸を凶器で刺してる時はどんなお気持ちでしたか? 浩志さんのことは絶対誰にも言わないから…と命乞いはなかったのでしょうか? もしかしてこの手紙が届いている頃は七夕も過ぎ、判決後かもわかりませんがそれより前でしたらぜひ出廷していただきたいと思っていますがやはり無理でしょうか?》
しかし判決の日、宮本被告が大阪高裁に現れることはなかった。
私は判決を終え、帰路につこうとしていた由美子さんに手紙の真意を訊ねた。
「どうして犯行に及んだのか、私が知りたかったのはそれだけなんです。せめて裁判所に来て、罪を認めて欲しかった」
事件の真相が宮本被告の口から語られぬまま、懲役20年の刑が確定しようとしている。