『アナロジア AIの次に来るもの』(ジョージ・ダイソン 著/服部桂 監訳/橋本大也 訳)早川書房

 著者は、現在はすべての事象がデジタルに収束しつつあるが、それを突き抜けるとアナログに回帰し、我々の生き方もアナログ的になると主張する。そのため、歴史上の様々な出来事を辿り直して、アナログとデジタルの本質を見極めようとしたのが本書である。

 デジタルは順位付けが可能な一次元(直線)世界であり、整数列のように無限個存在するが離散的で決定論的である。これに対しアナログは、二次元(面的)世界で広がりがあり、数値が有限間隔であってもそこには無限個の実数が存在し、連続的である。デジタル論理をトコトン突き詰めれば、あらゆる論理計算は可能だろうが、複雑さはどんどん増していく。ところがアナログでは、不定さを含む一定の曖昧さと常に共存しているから、いくら突き詰めてもこれ以上複雑になることはない。以上のように、デジタルとアナログが描き得る世界像は全く異なることは明らかであろう。

 そんなデジタルとアナログの差異を前提にして本書を読もう。最初の第0章「ライプニッツ群島」において、デジタル論理を突き詰めようとしてデジタル計算機を提案したライプニッツの試みが描かれ、最後の第9章「連続体仮説」において、整数のような離散的で無限を扱うデジタルの進化の果てに、実数のような連続的で無限であるアナログに帰着するであろう、という予言が述べられている。

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 中間の第1章から第8章までは、1741年のシベリアの果てを目指したベーリング・チリコフ探検隊の話や米政府と先住民族の戦い、カナダ西岸部でツリーハウスに住んで電灯もパソコンもない生活を営む著者自身の物語等、デジタルにもアナログにも触れていない。おそらく、人間世界の不条理さを見つめる中で、アナログ的生活こそが第一と示唆したいかのようである。

 実際、第6章「ひも理論」は素粒子の最新理論ではなく、人類がひもを結んでカヌーを組み立てるという、まさにアナログ手法による物づくりに挑戦して遠洋航海に出る話となっている。

 著者の父のフリーマン・ダイソンは著名な物理学者であるとともに、奇抜なアイデアを発表して世間の度肝を抜くことが度々あった。例えば、核エネルギーで駆動する宇宙船で太陽系を探査するという「オリオン計画」を発案した。核の平和利用というわけだ。また、戦前原爆開発に邁進したレオ・シラードは、戦後一貫して原水爆禁止運動に従事し、イルカの声を聞くと称して反核の書『イルカ放送』を著した。現在のコンピューターの原理を提唱したフォン・ノイマンの思い出など、デジタル思考に才能を費やした天才物理学者たちの生き様を第4章「イルカの声」にまとめていて、科学史として貴重である。

 デジタルとアナログは「糾(あざな)える縄」のように進むが、最後にはアナログの切れ端だけが残ると言いたいらしい。

George Dyson/1953年生まれ。アメリカの科学史家。16歳で家出し、カナダのブリティッシュ・コロンビア州沿岸の森林のツリーハウスに暮らし、先住民族アリュート族のカヤックの復元を手掛けた。著書に『チューリングの大聖堂』(日本翻訳出版文化賞受賞)、『バイダルカ』など。
 

いけうちさとる/1944年、兵庫県生まれ。宇宙物理学者。近刊に『江戸の好奇心 花ひらく「科学」』『姫路回想譚』などがある。