絵コンテの改訂により2時間を上回る上映時間に
鈴木は、宮崎にコンテのラストに対して一考を求める決意を固めた。今回も音楽を担当する久石譲との打ち合わせのため、電車で移動する時間を使って、鈴木は端的に「エボシを殺したらどうか」と提案したという。宮崎は鈴木の提案をその場で受け入れ、3日ほど検討した後に改訂したラフコンテを持ってきた。しかし、宮崎は「エボシは殺せない」との考えから、改訂版でもエボシを生かし、腕を失うのみに留めることにした。そして1月下旬になり、改訂された絵コンテが完成した。
この時点ではすでに7月の公開が決まっており、6月1日が完成予定とされていたが、一連の絵コンテの改訂によって上映時間は2時間を上回り、15分増加することになった。ジブリの月間生産量は約5分であることから、この改訂により、単純計算でも3カ月分の遅れが生じてしまったことになる。
窮地を救った援軍
絵コンテの改訂と、それに伴う約15分の上映時間増加により使用セル枚数は当初の見込みから14万5000枚に増加。これは6月1日の完成、7月中旬の公開を目指していたスケジュールにとって致命的な遅れとして響くことになった。さらに、スケジュール管理をしていた制作部門でも、進捗状況のチェックにミスがあったことが判明。まだ描けていないシーンまで完成していることになっているなど、追い打ちをかけるようなトラブルが続いた。
鈴木はこの危機的状況を一から洗いなおして把握すべく、数字に強いことに定評のあった西桐共昭を急遽、制作スケジュール管理の担当者として任命。西桐が状況を整理した結果、追加の15分に加えて、新規で描かなければならないシーンが膨大に残っていることがわかった。
打つ手なしの絶望的な状況に追い込まれた制作現場だったが、ここで思わぬ援軍に窮地を救われることになる。当時の状況について、鈴木は著書で次のように書いている。
今度ばかりはもうだめだ、どうしよう……と思っていたとき、援軍が現れました。
かつて宮さんや高畑さんが在籍し、『ルパン三世 カリオストロの城』を制作したテレコムというスタジオでした。社長の竹内孝次さんがやってきて、「仕事が途切れちゃったんですけど、何か手伝えることはありませんか?」と言うんです。渡りに船とはこのこと。動画部門にテレコムのスタッフを投入し、人海戦術をとることにしました。(『天才の思考』)
このテレコムスタジオの助け舟に加えて、前述のデジタル技術による彩色工程の効率化が奏功し、3カ月かかる見込みだった作業スケジュールは1カ月まで大幅に短縮。6月16日には、無事に初号試写を行うことができた。