1ページ目から読む
2/4ページ目

映画作りのためにどのような芯を与えるか

 宮崎の苦闘は絵コンテの段階になってもまだ続いていた。『もののけ姫』のメイキング映像の書籍版、『「もののけ姫」はこうして生まれた。』には、ディレクターの浦谷年良との以下のようなやりとりがある。

「これはもの凄く(編注/準備期間が)長かった。どうやっていいか分からなかったから、長かったんです。今でも分かんない(笑)。もっとやることがクリアなものは、恐ろしいほど短い期間で済むんですけどね。前からそういうことをやってみたいと思って、それなりに調べて、いろんなものを、自分の中に溜まってたものを。そうするとイチイチ調べなくてもいいんで」

「今度の場合、溜まってたんじゃないですか?」

ADVERTISEMENT

「いや、溜まってはいたんです。溜まりすぎてたんです。3つか4つ混じってる。それで出来つつあるものが、全部それと違うもんだったから…」

あまりにもあっけない終わり方に悩む

 この溜まりすぎていた課題を整理しつつ、さらに映画作りのためにどのような芯を与えるか。宮崎はそこで、これまでの映画作りよりもさらに一歩進もうとしていた。同書で宮崎は、「問題が沢山入りすぎていて、逆にハラハラしますね」という浦谷の発言に次のように答えている。

 解決不能な問題ですよね。今までの映画は、解決可能な小課題を作って、取りあえず今日はそれを超えたと、それをひとつのセオリーにしてきたんですけどね。それが映画の枠内だと。それでやると、現代で僕らがぶつかっている問題とは拮抗しないという結論が出たんじゃないかなぁ。だから、解決可能な課題じゃない、解決不能な課題を作るって(笑)。こりゃあ胃によくないですね。だから解決可能な課題を作ってる奴見るとね、ノーテンキな奴めと思うと同時に、うらやましいですよ。僕等は映画を作りすぎちゃったなぁと。…でも、現代の世の中見てると、解決不可能なことの方が多いですよね。(同前)

 解決不可能な問題を中心に据えた映画作り。そうした例のない作劇に苦闘した末、絵コンテはいったん、1997年の年明けすぐに完成した。この時点で鈴木がコンテを読んだ感想は次の通りだった。

 ちょっとびっくりしちゃったんですよねぇ。その内容がね、あまりにもあっけない終わりなんですよね。それでまあ僕としては悩むワケですよ。何を悩んだかというと、上げろ上げろ、2時間で上げろって言った僕のことは尊重してくれたんですよ。で、確かに2時間で終わっていると。しかし終わり方があまりにもあっけないワケですよね。そうすると、僕にとっては、はっきり言えば、面白くないんですよ。(同前)

 最初に完成したラストでは、タタラ場も炎上せず、エボシの腕ももぎとられない。問題を広げるだけ広げて、そのまま尻切れトンボにしたような内容だったという。