スタジオジブリが1994年に制作した長編アニメーション映画『平成狸合戦ぽんぽこ』。高畑勲監督が原作・脚本・監督を務めた同作品は、どのような経緯で生まれたのだろうか。ここでは、鈴木敏夫氏の責任編集のもと、スタジオジブリの40年の軌跡を記した『スタジオジブリ物語』(集英社新書)より一部を抜粋・再編集して紹介する。

『平成狸合戦ぽんぽこ』 © 1994 畑事務所・Studio Ghibli・NH

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「豚」から「タヌキ」へ

 TVスペシャル『海がきこえる』に続き、新スタジオで初めて制作されることになった劇場用作品は『総天然色漫画映画 平成狸合戦ぽんぽこ』に決まった。

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『平成狸合戦ぽんぽこ』のパンフレットに「鈴木プロデューサーが語る『平成狸合戦ぽんぽこ』 企画からシナリオ着手まで」と題されたインタビューが掲載されている。

 それによると『平成狸合戦ぽんぽこ』の企画の源流は、1989年まで遡ることができる。『魔女の宅急便』追い込みの真っ最中にあたる同年1月に、高畑勲監督と宮崎駿監督が前後して、雑談の中でタヌキを題材とした映画のアイデアを語ったのである。

 高畑は「日本独自の動物、狸の映画がないというのは、日本のアニメーション界がさぼってきた証拠だと思いませんか」と指摘し、「もし、作るとしたら四国が舞台の狸話『阿波の狸合戦』を取り上げたらいい」と、語ったという。「阿波の狸合戦」とは、六右衛門狸と金長狸の間で起きた、阿波の狸を二分する戦いについての民話で、1939年に新興キネマ(後の大映)が『阿波狸合戦』として映画化し大ヒット。広く知られるようになった。

タヌキ企画を具体的に取り上げたのは宮崎

 一方、宮崎は「『八百八狸』をやろう」と提案。八百八狸とは講談『松山騒動八百八狸物語』として知られる物語で、『証城寺の狸ばやし』『分福茶釜』と並ぶ日本三大狸噺の1つ。松山藩のお家騒動に、八百八狸の別名を持つ隠神刑部狸が絡む内容だ。鈴木敏夫はこの時、「八百八狸」と聞き、鈴木も宮崎もファンであるマンガ家の杉浦茂が描いた『八百八だぬき』を思い出したそうだ。しかしこの時は、これらのアイデアが具体的に企画の形になることはなく、あくまでも雑談の範囲に留まった。

 そんなタヌキ企画を具体的に取り上げたのは宮崎だった。宮崎が改めてタヌキを話題に出したのは、1992年6月。今度は『紅の豚』の追い込みの真っ最中だった。宮崎は「『豚』の次は『タヌキ』だ」と、改めて企画を俎上に載せた。

 宮崎の提案を受けた鈴木も、3年前の提案のことを改めて思い出し、すぐさま応じた。そして次のように、宮崎に逆提案したという。