僕は畳みかけるように、こういいました。「高畑監督でいいですか。その場合、『八百八狸』ではなく『阿波の狸合戦』になるけどいいですか」宮崎監督は一瞬、ためらった様子を見せましたが、気持ちの切り換えの早い人です。気を取り直すと、条件をふたつ付けました。
「狸に敬意を込めて描いてほしい。それと、絶えて久しい『哄笑』が欲しい」(劇場用パンフレット)
高畑は簡単には引き受けず
そこで鈴木は、さっそく高畑に監督を依頼したが、高畑は簡単には引き受けなかった。鈴木から企画を提案された時の考えについて、高畑は次のように振り返っている。
『タヌキをやらないか』と言われ、ヒントとして宮さん(宮崎駿)や鈴木プロデューサーが心酔している杉浦茂さんの『八百八だぬき』を見せられた。ところが全然理解できない。何か深い意図があったのでしょうが、ぼくはカンがニブいもんで分からなかった。(『アニメージュ』1994年3月号)
じつは、ぼくは前々から、講談調の民話『阿波の狸合戦』が好きで、こんなにアニメーションが隆盛を誇っているのに、狐や狸の化け話など、基本的な民衆的想像力を表現しているものを何故やらないのか、業界の怠慢ではないか、などと大げさな主張をしていたことがあったんです。たしかに今ハヤリではないけれどアニメーションでしかできない題材だし、やっておく責任があると。名作の『おこんじょうるり』などとはちがった、一種の『ほらばなし』としての魅力の方のことなんです。ですから、『阿波の狸合戦』をベースにした井上ひさしさんの『腹鼓記』も読んでいましたし、狸をやりたくなかったと言えば、ウソになります。しかしまさかジブリが取り上げる題材とは思っていなかったし、どんなものにすれば『もの』になるのか皆目見当もつかない。考えはじめてしばらくして、簡単に降参したんです。ぼくには無理だと。(同前)
どのように狸を映画にするか。模索する高畑と鈴木は、1992年5月には、『腹鼓記』の著者である井上ひさしとコンタクト。井上は、鈴木と高畑に、自分なりのアイデアをさまざまに披露した上で、「日本で狸のことを考えている人は、おそらく5人くらいのもんでしょう。狸のことならぜひ協力したい」と『腹鼓記』を書く際に集めた資料の閲覧をすすめてくれたという。高畑と鈴木は、井上の資料が収められた山形県川西町の「遅筆堂文庫」を訪れ、多くの資料に目を通したが、なかなか映画化のヒントになるようなものは見つからなかった。