1つは「本狸」。これは動物の姿をしたタヌキを写実的に描いたもの。人間の前に登場する場合はこの姿で描かれた。2つ目は「信楽ぶり」。映画の中ではこれがもっともメインの姿で、二足歩行し、キャラクターによっては上着を着ているものもいる。3つ目は「杉浦ダヌキ」。これはタヌキたちが「負けた!」、あるいは「トホホ」という気分になった時になってしまう姿で、先述の杉浦茂のキャラクターを参考に設定された。4つ目は「ぽんぽこダヌキ」。これは「杉浦ダヌキ」のいわばバリエーションで、大勢の宴会など楽しいシチュエーションの時にタヌキたちが自然とその姿になってしまう外観だ。
他の作品の時も多摩丘陵を参考にしていた
一方、美術監督は『おもひでぽろぽろ』に続き男鹿和雄が担当。多摩丘陵の四季の移ろいを、丁寧な観察眼で描き出した。
「狸」の話自体は、前から聞いていましたが、自分でやるつもりはなかったんです。ところが、“舞台が多摩丘陵になりました”と言うのを聞いたとたん—自分の家の周りじゃないですか—いい加減なもので、ピクッと動いちゃったんですよ。“多摩丘陵が舞台だったら、普段からそこで遊んでいるし、まあ、やんなきゃいけないかな”とか色んな想いがカーッと浮かんできて。その時にやることをほとんど決めたんだと思いますね。(『男鹿和雄画集』)
男鹿は『となりのトトロ』や『おもひでぽろぽろ』の時も、自然を描く時の参考として多摩丘陵をたびたび観察してきた。その点で『平成狸合戦ぽんぽこ』は日本の里山のある風景を描く総まとめとして取り組まれたといえる。
現実から掛け離れたものを作ってもしょうがない
完成後のインタビューで、高畑は作品の立ち位置について次のように語っている。
僕はこの映画は記録映画だと思っているんですよ。(略)これがもしファンタジーだったとすると、タヌキは当然大きな力を発揮して、見る人は人間であることを忘れて、タヌキに加担することになります。そうするんだったら、タヌキに大きな力を持たせて、人間にも上手に対抗させることにしたでしょうね。しかし、そうすれば、現実から掛け離れたものになってしまうんですね。そんなもの作ってもしようがない。そんな映画を作って、エイエイオーと叫んでみたところで、別にタヌキは保護されることにはならない。いっぺんの楽しみでしかありえないのです。そういう映画じゃなくて、あくまでも現実にタヌキがやったことは、いくら想像力をめぐらせても、せいぜいこのくらいではないかというものを描きたかったのです。タヌキが置かれている現状を抜きにして勝手な夢やまやかしの希望を語る気にはなりません。(『シネ・フロント』1994年7月号、『映画を作りながら考えたことⅡ』所収)